トップ・ページ 親類の皆様への近況報告です。 ヒストリー


性 別  男性
職 業  弁護士
年 代  団塊世代
住所地  東京都 台東区
業務地  東京都 千代田区
海 外  交渉、勤務、旅行等で35ヶ国・地域
趣 味  旅行、写真、著述一般、テニス、パソコン等









 拝啓 皆様におかれては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。
                                さて 私こと
 このたび、定年により、最高裁判所判事を退官いたしました。
 昭和48年に旧通商産業省に入省以来、経済企画庁、資源エネルギー庁、外務省、特許庁、経済産業省、日本貿易振興会、内閣法制局、最高裁判所に勤務して合計46年余の充実した公務員生活を送ることができました。この間、皆様から公私にわたり温かいご支援とご厚情を賜り、改めて、心より御礼を申し上げます。
 今後は、これまで培った法律や経済の知識と経験を生かし、弁護士として引き続き社会に貢献するよう努めていきたいと考えています。末筆ながら、皆様のご健勝とご多幸をお祈りして、私の挨拶とさせていただきます。
                                      敬具


(2019年 9月26日記)

最高裁判所大法廷

最高裁判所











 2年間ほど、「邯鄲の夢」という題名にそれなりの思いを込めて、エッセイを綴ったり、写真を掲載してきたわけですが、一つ問題が生じました。そもそも「邯鄲」という字が読めない、わからないという人が増えてきたのです。本来は私の身内相手に書いていたものを、途中から一般に広く読んでいただけるならという趣旨で公開しはじめたものがこのホームページです。だから、気にすることはないのかもしれませんが、それにしても、題名から抵抗感があるようでは、せっかく公開している意味がありません。だから、復題することにして、また元の「悠々人生」に戻すことにしました。引き続き、楽しんで読んでいただければ幸いです。


(2017年 4月23日記)








 芥川龍之介作の「黄粱夢」は、いわゆる「邯鄲の夢」の話の中で、盧生が目を覚ます直前から始まります。

 盧生は死ぬのだと思った。目の前が暗くなって、子や孫のすすり泣く声が、だんだん遠い所へ消えてしまう。そうして、眼に見えない分銅が足の先へついてでもいるように、体が下へ下へと沈んで行く――と思うと、急にはっと何かに驚かされて、思わず眼を大きく開いた。  すると枕もとには依然として、道士の呂翁が坐っている。主人の炊いでいた黍も、未だに熟さないらしい。盧生は青磁の枕から頭をあげると、眼をこすりながら大きな欠伸をした。邯鄲の秋の午後は、落葉した木々の梢を照らす日の光があってもうすら寒い。

「眼がさめましたね。」呂翁は、髭ひげを噛みながら、笑みを噛み殺すような顔をして云った。
「ええ」
「夢をみましたろう。」
「見ました。」
「どんな夢を見ました。」

「何でも大へん長い夢です。始めは清河の崔氏の女と一しょになりました。うつくしいつつましやかな女だったような気がします。そうして明年、進士の試験に及第して、渭南の尉になりました。それから、監察御史や起居舎人知制誥を経て、とんとん拍子に中書門下平章事になりましたが、讒を受けてあぶなく殺される所をやっと助かって、驩州へ流される事になりました。そこにかれこれ五六年もいましたろう。やがて、冤を雪ぐ事が出来たおかげでまた召還され、中書令になり、燕国公に封ぜられましたが、その時はもういい年だったかと思います。子が五人に、孫が何十人とありましたから。」

「それから、どうしました。」
「死にました。確か八十を越していたように覚えていますが。」

 呂翁は、得意らしく髭を撫でた。
「では、寵辱の道も窮達の運も、一通りは味わって来た訳ですね。それは結構な事でした。生きると云う事は、あなたの見た夢といくらも変っているものではありません。これであなたの人生の執着も、熱がさめたでしょう。得喪の理も死生の情も知って見れば、つまらないものなのです。そうではありませんか。」

 盧生は、じれったそうに呂翁の語を聞いていたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、こう云った。
「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」

 呂翁は顔をしかめたまま、然とも否とも答えなかった。
(「青空文庫より」)


 思えば私の人生は、自分では「悠々人生」のつもりでこつこつ努力しながら過ごして来たわけですが、振り返ってみると寵辱の道も窮達の運も一通り味わい、そろそろ終盤に差し掛かりました。その山あり谷ありの長い長い過程において、人生の岐路に出会うたびに、自分なりに知恵と工夫を凝らして考え、家内と相談しながら、そして励まされつつ勇気をもって乗り越えてきました。そして気が付いてみると、峰の頂きのひとつに乗っていたということですが、これはまさに、芥川龍之介がこの「黄粱夢」でいう「邯鄲の夢」そのものではないかと思うようになりました。かくして私は、若い頃から邯鄲の夢を見続けて、その中に入って思う存分に人生を味わってきました。しかし、いずれこの夢は醒める時が来ることは確かです。その一瞬、何を思うのでしょうか、自分でも分かりませんが、今から大いに楽しみにしています。そういう意味を含めて、このホームページの題名をそれまでの「悠々人生」から、これからまだ見続けるはずの「邯鄲の夢」に変えることにしましたので、よろしくお願い申し上げます。


(2014年 5月 1日記)










 おかげさまで、このホームページの開始から丸4年が過ぎました。当初は主として私の親類友人向けに、私と家族の近況でもお伝えしようと始めたものです。しかしながら、開始からしばらくして、親類向けの部分は別途区別することにより、全体を一般の方にも見ていただけるような内容に変更しました。そういうホームページの性格上、この4年の間、あまり宣伝をしなかったわけですが、それにもかかわらず、いろいろな方がご覧になり、しかも有難いことに多くの人から激励やら面白かったという声をいただき、それを励みに続けて来ました。

 2004年に入り、ネット上で流通する素材を使わせていただくとともに、大容量のレンタルサーバーを利用するという方針に変更しました。そうしたところ、このホームページの内容が多種多彩なものとなり、自分で言うのも何ですが、以前と比べて驚くほど良いものになりました。その効果もあってか、閲覧数も、月を追うごとに多くなりつつあります。

 このホームページの特徴は何かと聞かれれば、従来であれば「そうですね、エッセイでしょうか。」と、いささか迷いつつ答えたところですが、とりわけ最近では、ためらうことなく「まず、写真をご覧ください」と言うことにしています。いずれも身近な題材ではありますが、東京という超近代な都市と江戸以来の下町とが同居しているそのアンバランスさが生む独特の題材によって、面白さが醸し出されてきていると思います。

 この4年間の創作の過程を振り返って思うことは、その時々で、力が入るもの、つまりいわゆる「ブレイクする」ものが違うことです。たとえば、ホームページの容量に制限のあるときには、どうしても文章を書き綴るということにならざるを得ません。だから、いろいろなエッセイが次々と湧いて出てきたのですが、いったん容量の制約が外れると、今度はJavaを使った動きのある画面や、写真などが主体となってきました。これらはホームページが大容量になることを意味します。かつてのようにパソコンのCPUの性能が低く、しかもダイヤルアップしかなくてインターネットへの接続速度が遅い時代には、そのように容量を贅沢に使ったホームページはなかなか作れませんでした。しかし、パソコンを新しくして光ファイバーを導入してからは、そういう制約は一切なくなり、Javaを縦横に駆使しつつ画像を取り入れた大容量のものを自由に作成できるようになりました。このように昨今のインターネットをめぐる環境の好転が、ホームページ作者の創作意欲の方向付けに、大きく影響を与えているようです。

 ということで、特に2004年に入ってからの私のホームページの内容は、質・量ともに、以前と比較して大きく充実してきました。たとえば、年初の容量は、文章主体でわずか20メガバイト程度であったものが、年末には350メガバイトと、爆発的に急増しています。内容も、私が撮りためた色々な分野の写真の映像やスライド・ショーをじっくり見られるようになっています。この一年で、よちよち歩きの幼児が、いきなり大人になったようなものです。そのようなことから、改めて私のホームページ全体を見渡してみたところ、従来の題名である「ヤマさんの部屋」のままでは、名は体を現わしておらず、これを変える時期に来ているのではないかと思うようになりました。そこで、新たな題名として、「悠々人生」と名付けたものです。

 その意味ですけれども、これは文字通り「悠々と」人生を歩んでいる昨今の私の心の在り様を示しているつもりです。つまり、気持ちと身体に常に余裕を持ち、いたずらにあくせくせず、しかも楽しみながら最高のものを目指して仕事に遊びに取り組む、これぞ人生の極意なりという心境であります。これというのも、良い家族や友人、すばらしい職場と先輩同僚たちに囲まれて心身ともに安定した日々を送ることができているなればこそと、この場を借りて改めてお礼申し上げる次第です。そのようなわけで、またしばらくこのホームページ
「悠々人生」(ゆうゆう じんせい)をコツコツと地道に続けていきたいと思いますので、これからもよろしくお願いいたします。


(2004年12月10日記)








 友人や親類の皆さん、ご無沙汰ばかりしていますが、お元気でしょうか。いつも何かしらとお世話になり、本当にありがとうございます。私も、ちょうど50歳で世紀末の年を迎えました。これからその扉を開いていく21世紀には、中年の盛りから壮老年に当たる年代に入ります。家内とともにやってきた家庭、仕事、趣味にも一区切りがつき、二度と来ないこれからの新しい人生を二人でどうやって楽しもうかと考える毎日です。

 さて、これまで半世紀にわたる私たちの人生は、振り返ればなつかしい様々なドラマもありましたし、子供たちからもいろいろと楽しい想い出をもらいました。総じてこれでよかったのではないかと満足しています。しかし時には過去の出来事を振り返って「ああすればよかった。こんなことをやめればよかった」などと反省することしきりです。もちろん、これから迎える人生の後半がどうなるか、私自身も皆目その見当もつきません。

 そういう中で、これまでの私たちが歩んできた道を振り返りながら、いま何を考えているか、いかに人生を過ごすかなどをエッセイという形でとりまとめておき、家内の言葉とともに私の人生のマイル・ストーンにしたいと思います。キャッチ・フレーズは、まず健康で、常に面白いことを見つけ、そして生きているうちに頭を使い、最後に楽しくというところでしょうか。それでは次の部屋からご案内します。

(2000年10月15日記)


Time passses very fast, but Life is very short.



      



Essays









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