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表 紙 の 写 真 集 その1

1999年10月〜2002年12月


2002年のクリスマス

 2002年の暮れを迎えようとしている。今年も、本当に、いろいろとあった。国内ではデフレ傾向はますます進み、経済は低迷し、銀行の不良債権問題などをきっかけに株価が8千円台の半ばに下落して、バブル時の五分の一にもなろうかという水準である。しかも、とうとう、国の財政の公債依存度が45%近くになってしまい、果たしてちゃんと返せるのだろうかと心配になる。近い将来、大増税にならなければよいが・・・。

 国際的には、アメリカによる対イラク戦争がまさに始まるかどうかという瀬戸際である。それに、北朝鮮によって拉致された人たちの家族の帰国問題が年を越しそうで、そもそも今回の五人の方々以外がどうなったのかは、何とも情報がない。それに、北朝鮮による核開発問題が、また動き出しそうだ。何ともきな臭いにおいのする年の暮れである。

 今年も家族親類一同みな無事で、年の暮れを迎えられたのはよいが、国内国際とも、暗雲の立ち込める年末である。せめて、クリスマス・ケーキくらいは、楽しんで食べようではないか。

(2002.12.21)
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(
上の写真は、筆まめVer13に付いていたもので、下の写真は、娘のプレゼントを家内が撮ったもの)
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清水港の秋の富士山

 清水港の遊覧船から、富士山を仰ぎ見ながら撮った写真(撮影者は、家内)。真っ青な秋の空に富士山が悠然と浮かび、真横にたなびく雲が、雪を頂いた富士山の高さを強調している。そういえば、「万葉集」の山部赤人の和歌があった。その田子の浦は、ここから近い。

田子の浦ゆうちいでて見れば真白にぞ
不尽の高嶺に雪は降りける


(2002.11.10)
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全国 錦鯉展

 ある日曜日、風の強い寒い日だった。東京ドーム・ホテルに寄ったその帰りにふと見ると、第33回全国錦鯉展をやっていたのである。ずらりと並べられた何十もある丸くて青いプールをひとつひとつ覗いていくと、いやまあ、さすがに、ほれぼれとする立派な鯉ばかりである。圧倒的に紅白が多いが、大正三色と昭和三色も結構いた。写りものという黒白の鯉、それにプラチナの光りものは、ごくわずかだった。

 紅白の大きいものは、1メートルは優に超え、胴回りは大人の太ももくらい。それが何匹かそろってゆらゆらと、直径3メートルほどの小さなプール中をゆったり泳ぎまわる様は、誠に壮観である。

 会長賞と書かれている紅白の鯉、どこが違うのかと観察した。まず、泳ぎ方に元気がある。方向転換の仕方など、さっさっとやって切れ味がよい。それから、何といっても赤と白の模様の具合と、その境界がはっきりしている。特に、顔のあたりが「きりり」としている。やっぱり、これが一位だろうなと、納得した次第である。

(2002.11. 9)
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紫 式 部

 低木に、可憐な紫色の実がいくつも生っている。「ムラサキシキブ(紫式部)」という、みやびた名が付けられている木だが、実は本物の紫式部(学名:Callicarpa japonica)は、もう少し実の付き方がまばらで素朴な感じである。これは、近くの家の庭に咲いていたもので、どうやら「コムラサキ(小紫)」、別名「コシキブ(小式部)」(学名:Callicarpa dichotoma)というそうである。見れば見るほど、ほのぼのとした味わいがある。たまたま家内が花屋さんからこれを買ってきた。それを見ると、葉などはなくて、茶色の細長い木から直接、とても細い糸のようなものがたくさん出ていて、その先に実が一杯生っていた。
(2002.11.1)34

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緑青の商店

 築地の辺りを散歩していると、ビルの谷間に、こんなお店を見つけた。三階建ての商店で、壁には「諸鳥、鶏卵商」「宮川商店」という文字が浮き出ている。

 いまでこそ、緑青だらけで目立たない建物だが、何十年前にこの建物が出来た当初は、金色に輝く銅板で囲まれていて、さぞかし美しかったのだろう。今でもお店の中では何人かの職人さんが、たくさんの鳥をさばいているのが見えた。正面のところで、鶏肉の小売もしている。現役なんだ。


(2002.10.20)33

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向島百花園

 家からちょっと、川を越えたところに、向島百花園というものがあり、江戸時代からの庭園である。ここは、子供の頃にしばしば見かけた、いまや懐かしい草々にお目にかかることができるところで、その大半は昔は雑草のたぐいだったものだ。
 ススキ、彼岸花、エノコロ草、ツユクサ・・・、それに小川にいたメダカ、これも絶滅に瀕しているらしい。小鮒釣りしあの川は、時のかなたに消えてしまっただけでなく、そもそもこの世から消えていきつつある。
 それはともかく、百花園では、ちょうどいま、萩のトンネルがまっさかりで、60メートルの可憐な花のトンネルを抜けるのがこの季節の楽しみである。

(2002. 9.22)32


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栗の季節

 いやあ、やっと秋になったかという感じである。それにしても、今年の夏は暑かった。そもそも5月くらいから、30度の熱帯夜の日々が続いて、これはどうなることやらと思ったものだが、その予感は的中し、毎晩エアコンを効かさないと寝られないという夏だった。これは、花屋さんで見かけた栗を、家内が撮ったもの。彼女が最近買ったデジカメは、私のより、ずっと薄くて小さくて、はるかに高性能である。

(2002. 9. 9)
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西瓜と鱒寿し

 「東京で、富山の西瓜と鱒寿しとはこれいかに」というところであるが、実は有楽町の交通会館に富山県のアンテナ・ショップがあって、そこで売られていたものである。細長いラクビーボール風の西瓜は,入善町の特産品である。あまり甘いというわけではないが、水分たっぷりで、これを見かけるのが夏の風物詩である。そのとなりで美しいピンク色を輝やかせている鱒寿しは、いうまでもなく駅弁の定番品であり、北海道のイカめし、横川の釜飯と並んで、私の好物である。そういえば、横川の釜飯なんて、ここ10年以上も食べていない。駅が廃止されてしばらく経つが、まだ健在なのだろうか。ところで、この写真は、買ったばかりのデジカメを使って、家内が撮ったものです。 (2002. 8. 3)30
 次のアドレスは、富山県の観光案内で、映像も美しく、とてもよくできています。
http://kanko.toyamaken.jp/

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長崎の平和公園の像

 長崎に行って来た。これまで、25年ほど前と10年近く前に二回、訪れたことがあるので、三回目となる。台風の合間の暑い日だったが、朝早くから出かけて、まず平和公園と原爆資料館を訪れることとした。平和公園の像の前に立ち、爆心地の碑に頭を垂れ、それからトコトコ歩いて原爆資料館に入った。1945年8月9日、ここで約75,000人が死亡し、ほぼ同数が負傷したとのこと。ちようど、子供たちが大勢来ていて、勉強中だった。こういう地道な教育が大事なのだろうな。インドとパキスタンの人たちにも、見てもらいたいものだ。

(2002. 7. 14)29


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カレーの木

 新宿御苑の温室を歩いていて、おいしいカレーの香りがした。何で、こんなところでカレーを売っているのかと思ったが、とんでもない誤解だった。香ばしいカレーの元は、この木で、カレーパイン・ノウセンカズラ科(Bignonia Capreolata L.)、北米原産とのこと。本当に、お腹がすくくらいの、いい匂いだった。近くを歩いていたアメリカ人らしき二人連れが、「これ、知っていた?」「いや、まったく知らなかった」と言い合っていたので、おかしかった。

(2002.4.20)28

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桜を見る会

 4月20日の土曜日、新宿御苑で「桜を見る会」という催しがあり、1万人近くが招待される大規模なものである。いつものとおり、朝早く、夫婦で連れだって行った。ここは八重桜なので、例年だと濃いピンクの花盛りという時期なのであるが、残念ながら暖冬の今年は桜の端が咲くのが早くて、行ってみたら「緑を見る会」になっていた。
(2002.4.21)27

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早稲田の春

 新年度を迎え、あちこちで入学の季節を迎えた。私の親戚のお子さんも、めでたく早稲田大学に入学した。そこで、家内と二人で励ましにと、大学のすぐ近くにある下宿に行ってみた。なかなか近くにあっていいアパートである。そのあと、構内を散歩してみた。うーーん、昔、私もここの政経を受けたことがあるので、こうして構内を散歩するのはかれこれ30年ぶりである。それにしても、建物自体は、以前とあまり変わっていないなあ。講堂が、ちょっときれいになったぐらいだ。

 いろいろなクラブが新入生を獲得しようと頑張っている。やたら金髪が多いものだから、外国人留学生かと思ったら、何だ、日本人か。それにしても紛らわしい。ぶつかったから、うっかり英語で「Sorry!」と言ってしまったほどだ。んっ、あの模型はといえば、やはり鉄道研究会、なつかしい名前だ。まだあったんだ。「攻究会?」なんのことだろう。こっちでは演説しているし、それも当然、あれが弁論部か・・・それにしてもねぇ。あれあれ、あそこでは網タイツをはいてギターをつま弾くお姉さんまでいる。やっぱりそれに、ふらふらと近づくニキビ顔の男の子もいる。はははっ、免疫がないみたいだな。おっと、よそ見していると、人にまたぶつかりそうだ。それにしても、これは縁日みたいな日だ・・・。

 というわけで、ふらふら見回ったあとに最初に入ったキャンバス・ショップで見つけたのが、この熊さん。大隈重信を模したらしくて、もっているのがステッキである。ひとつひとつもいいが、こうして集団で見るのもまた、かわいいではないか。小豆色の早稲田カラーのマグカップを買ってしまった。

(2002.4.7)26

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お茶の水の像

 これを見て、どう思います。何だかとっても愉快な感じがしませんか。休日のある日、お茶の水あたりをぶらぶらとしていると、見つけたのです。三井海上の建物の敷地内でした。木が生い茂っていて、台座の碑名はよく見えなかったのですが、「彗」と書いてあったような気がします。問題は、私の家内が、この写真と私とを見比べて、急に笑い出したことです。どうしたことか・・・。いやだな、これに近づいたのか。まさか。きょうは、エイプリル・フールだった。
 (2002.4.1)25

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東大の合格発表

 また今年も、東大の合格発表が3月10日にあった。お昼からテニスの予定があり、地下鉄南北線に乗るのでその前に本郷の構内に立ち寄った。いつもの喚声がそこここに地鳴りのように何重にもわき上がり、いつ聞いても迫力がある。これで人生が決まる(と誤解している)人も多いわけだから・・・・。顔を歪めて立ち去るそこのボク、あなたの人生はこれからだ。実力をつければ、どの世界だってダイジョウブだよ。おっと、胴上げされて得意げなキミ、これに浮かれて努力しなけりゃ、東大卒の肩書きもなーんの役にも立たないからね。
(2002. 3.12)24



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湯島の白梅

 2月になり、近くの湯島神社に歩いていき、梅の花がふくらんでいるかを見てきた。まだちょっと早いようで、次の週末くらいから、見頃になりそうだ。もらったパンフレットを見ると、いろいろな行事というか、学芸会のような催しが続く。それにしても、あの大量の絵馬を置いていった受験生たちの受験戦争は、いまが真っ盛りだ。我が家でも、甥っ子が奮闘中だ。健闘を心から祈っている。彼にとって、よい春になりますように。
 白山神社の紅梅
 (2002. 2. 5)
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小江戸 川越


 小京都といえば、岐阜県の高山市、あるいは地元っ子には失礼なとお叱りを受けるかもしれないが、石川県の金沢市という情緒ある町を思い出す。しかし、小江戸とは、あまり聞いたこともないな、というのがこれまでの私であった。しかし、新宿からわずか45分のこの町を初めて訪ねて、いやぁ納得してしまった。これこそ、江戸の情緒というものか。
 詳しくは、エッセイの「大江戸・小江戸」をご覧あれ。
(2002.1.31)22

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愛宕山モリタワー

 愛宕山の隣というか、その一角に、大きな二つの高層建築ができてしまった。愛宕山の雰囲気がぶちこわしである。あの急な階段を上がって春は桜を、秋は紅葉と緋鯉を見に行き、たまには放送会館に立ち寄って太平洋戦争開戦のお言葉を聞いて神妙な気持ちになったりしていたのであるが、それが、横にあんなに高い建物が建つなんて、思いもしなかった。
 それはともかく、その愛宕山モリタワーの頂上にあるゼックスというレストランからの眺めは、一見の価値がある。この写真は、真ん中の左手にたばこビル、その右が霞ヶ関ビル、そしてさらに右手にある緑は、皇居である。

(2001.11.20)21

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A View from the Atago Mori Tower

お台場の女神

 久しぶりに、家族でお台場に出かけた。目的は、また小香港とヴィーナス・フォートである。前回は開店のときに行った台場小香港であるが、出来た当初のように、猥雑さを演出する南国フルーツの屋台や空港離発着の飛行機の騒音がなくなってしまって、何だか寂しくなった。しかし、そういえば、あの飛行機の音はうるさかったなぁ、ま、あれはない方がいいか、と思い直した。そして歩いてみて、やや驚いたのは、店によって客の入りが著しく違うことである。高級店はさっぱりで、大衆店が大はやりである。中でも、回転飲茶は、20人近くが列を作っている。びっくりした。
 おっと、この写真のことを忘れるところであった。お台場のレインボーブリッジと自由の女神との妙な組合せだが、しかし、不思議に合っているといえば合っている。ニューヨークと同じで、やはり自由の女神は港にふさわしい。ちなみにこれは、日仏友好記念年にフランスからお借りしたもののようだ。

(2001.11.3)20
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The Statue of Liberty
The Statue of Liberty at the Odaiba

迎 賓 館


 かねてから申し込んでいた迎賓館(赤坂離宮)の見学の抽選がはじめて当たり、はがきが送られてきた。そこで家内と二人で、8月初旬の土曜日、出かけることになったのである。確かに、そこそこの内装であるし、綺麗に維持されているが、何しろそこで生活が行われているわけではないので、どうも映画のセットのような気がしてしまう建物である。見終わったあとで、はなはだ気持ちの落ち着かない気がしたのは、なぜだろうか。ベルサイユ宮殿の一部を切り取ってきたような、あるいは鹿鳴館の現代版のような、そういったところが原因かもしれない。というわけで、点数をあげるとしたら、せいぜい40点といったところか。
(2001. 8.10)19

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The National Guest House

入谷の朝顔まつり

 7月7日の七夕の日、自宅から言問通りを20分ほどかけてトコトコ歩いて、入谷の朝顔市に出かけた。夏の暑い日で、汗だくになってしまった。ここ眞源寺には、鬼子母神が祀られていて、毎年この頃になると、朝顔がいっぱい売られるお祭りがある。鬼子母神とは、インドの女神のひとつで、子供をとらえては食べてしまうという性質凶暴であった。そこでお釈迦さまは、その鬼子母神の末子を隠してしまい、子を失う悲しみを実感させて改心させたとのことで、それ以来、安産子育ての神となったという。
 それはともかく、明治になってこの近くは田圃となり、朝顔や蓮の栽培に適していたことから、植木屋が持ち寄って朝顔を売り始めたのがはじまりということである。大正時代に市街化が進んで一時とだえたが、戦後再びはじまって、今日に至っている。
 あいかわらず、たいそうな人出で、ごった返している。ちょうどお昼に行ったものだから、朝顔のほとんどは萎れてしまっていて、ちゃんとした花を咲かせているのは、ほんの一握りという有様である。それでも、皆はどんどん買っていく。確か数年前は、一鉢3500円という値段が付いていたが、きょうは2000円といっていた。ここにもデフレの波が押し寄せて来ている。眞源寺に入り、縁起物を売っていた和服のお嬢さんの手つきに思わず見とれ、一枚撮らせていただいた。

 (2001. 7. 7)18

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The Morning Flower Festival
Miss Morning Flower

紫陽花まつり
 近くの白山神社では、6月の中旬に、紫陽花まつりが行われる。といっても、狭い境内の中に所狭しとばかりに植えられている色とりどりの紫陽花を愛でて、ぞろぞろと見て歩くだけである。もちろん、若い人というよりは、年寄りばかりが目立つ。いずれもあらかじめ打ち合わせたかのように、帽子とチョッキを身につけて、三脚付きのカメラのファインダーをのぞき込んでいる。

 ここに来ると、紫陽花には誠にもっていろんな種類があると、改めて思い知らされる。あざやかな青色が定番だが、そのほかにピンクや薄紫のもの、あるいは真っ白なものもある。それから、ガクアジサイといって、真ん中には小さな花が密生していて、周囲に大きな青いガクが散らばっているものも、なかなか魅力的である。

 とまあ、そういうわけで、丸い紫陽花の可憐な花をさんざん撮ったついでに、家内の丸い顔をアップで撮ってしまったら、これがまた、花となかなか調和していた。

(2001. 6. 9)
17

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The Hydrangea Festival
Blue Hydrangea

神田祭りの迫力
 セイヤッ! セイヤッ! おおっと、そこの姉さん、ちょっと痛いじゃないか!
 そこのトンカチ!何を馬鹿いってんだよっ! セイヤッ! さっさとお担ぎ! セイヤッ!
 セイーーノーーゥッ! セイヤッ! ああっ痛ってえ! くそぅっ!

 なんていう話を、この大音響の中でしているのかもしれないが、それにしても、まあ何とすごいお祭りであることか・・・。などとつまらないことを言っていないで、こちらも セイヤッ! セイヤッ!

(2001.5.16) 16
御神輿の音

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The Kanda Festival

五 月 人 形

 五月人形を撮りたいと思ってデパートに行ったが、そこにあったのは、赤いよだれ掛けをした金太郎と、この甲冑であった。京都甲冑という表示があったけれども、一体が30万円とか、50万円、果ては300万円近いものがあった。しかし、私はどれも好きではない。まあ、美術品もどきとして飾るのも一案ではあるが、年代物ならともかく、こんなものは何年経っても古美術品としての価値もないであろう。
 私の家では、息子が生まれたときに、私の母が記念に武者人形を買ってくれた。それが、凛々しい顔で、いっぱしに鎧を着て刀を差し、弓矢を持って両足を踏ん張っているのである。息子はそれをどういうわけかとても気に入って、いつも机の前に置いている。外国へも持っていったし、外国から帰るときに周囲のガラスが割れたけれども、それでもそのまま飾っている。いまや既に弓矢の一部が欠け、兜の付近も相当に痛んでいるが、息子はなお捨てようとはしない。いまどき、とても珍しいことだと思うが、私たちもそれを見て、心がなごむのである。この調子だと、息子は未来の奥さんも、とっても大事にしそうな気がする。

(2001. 5.22)
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Worrier's Doll for Boys in May Season

根津神社のつつじ

 毎年4月中旬から5月初めにかけては、根津神社でつつじ祭りが行われている。といっても、ご覧のような斜面いっぱいの躑躅を眺めて、その間を人垣に揉まれながら散策するという趣向である。屋台や猿回しなども出て、誠に平和な風景が現出する。まさに、日本の下町情緒が味わえるというものである。しかし、この赤や白やピンクの躑躅の色のあざやかさはどうだろう。何という美しさか。ちなみに、この季節では、この根津神社のつつじに加えて、上野東照宮のぼたんと、亀戸天神の藤の花が見事であり、下町三大花祭りとなっている。
(2001. 4.20)
14

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Azeria Festival at the Nezu Shrine

皇居の桜

 皇居の大手門のそばを車で通ったところ、しだれ桜が五分咲きであり、その桜色がとっても良かった。その印象が目に焼き付いていたので、お昼に暇ができたとき、真っ先にそれを思い出した。そこで外に出て、春の陽気にさそわれつつパレス・ホテルまで歩き、外堀通りを渡ってお堀のそばまで行った。

 しだれ桜の色がいい。しかも風に吹かれてゆらゆらと揺れて、これまた風情がある。写真を撮ろうとたが、適当なアングルがない。もう少し桜から離れた方が構図的にはいいのだが、それでは道に出てしまう。いろいろと試し、結局しだれ桜の木の中に入り込む感じで大手門の櫓を撮ることにした。それから、お堀には、鳥が何羽かいて、その横を悠然と緋鯉が泳いでいく。私は、鯉が好きなものだから、その写真も撮らせてもらった。最近、お堀でもブルーギルとかいう妙な外来魚が繁殖して在来種を根絶やしにしそうな雰囲気というので、心配していたが、どうやら、大きな鯉たちは大丈夫なようである。

 (2001. 3.31)13
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Cherry blossoms at the Palace Side


Swimming Carp at the Palace

外務省の桜

 21世紀に入って最初の桜の開花は、気候温暖化の影響であろうか、例年より一週間ほど早まって、東京では3月24日頃であった。都内では上野公園や飛鳥山公園に大勢の人出があるが、ここ千代田区では千鳥が淵と外務省前の桜並木が有名である。この写真は、外務省前のもので、以前であればこの方向だと桜の背景は真っ青な空であった。しかし、今ではご覧のとおり、最近立ち上がった総務省などが入っている政府のビルが立ちはだかってしまった。それでも、桜が満開のこのトンネルの中に入ると、まるで全くの別世界である。写真の左下の三人のご婦人たちがこう語っていた。「いいわねぇ、こんなすばらしい景色の中を朝な夕なに通えるなんて・・・」。いや、全く同感である。しかし今年の外務省には、そういえば報償費問題があった。花は盛りにとばかりに、今や満開のこの桜を見ている余裕があるのだろうか。
(2001.03.28)12

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Cherry Blossoms in front of the Ministry of Foreign Affairs

東大合格者の胴上げ

 ワーッ、ギャーッ、おおーい、ドンドン、パチパチパチ。喚声が喚声を呼び、それが地鳴りのように大地に響きわたる。これが我が国の最高学府、東京大学の入試合格者の発表風景である。運動部の猛者が次々に合格者を胴上げする。近くに住んでいるものだから、ついこの季節になると我ながら物好きだとは思いつつも、これを見物に行く。でないと、私の春は始まらないのである。
(2001.3.10)11
 エッセイ「東大の合格発表」を参照。 

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The Announcement Day of the Entrance Examination to the University of Tokyo

蘭の美形

 近くの東京ドームでは、ときどき面白い催しをやっていることがある。冬のある日にふらりと立ち寄ったところ、「世界らん展」というものを開催中であった。蘭といえば、シンガポールのチャンギ空港のおみやげ品か、美空ひばりの胡蝶蘭かぐらいの浅薄な知識しかない私にとっては、この色とりどりの蘭のオンパレードは、まさにカルチャーショックであった。蘭というのは、ある意味ではいい加減な花で変種がいっぱいあるとは聞いていたものの、これほどまでとは知らなかった。この写真は、その中で最も気に入った蘭である。
(2001. 3. 2)10
  エッセイ「蘭の世界」、写真「世界らん展」を参照。
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Orchid Exhibition

お雛様の季節

 3月3日の雛祭りの季節がまた巡ってきた。うちには女の子(といっても近々社会人)がいるものだから、その小さい頃にデパートに出かけて大枚をはたき、お雛様のセットを買ってきたことを思い出す。少し大きなガラスケースの中に、雄雛と雌雛のほか、三人官女に五人囃子、牛車と箪笥の類、それに左近の桜と右近の橘があって、小さいながらも一応すべてそろっていた。それだけでなく、右上のかわいいネジを回すと、雛祭りのオルゴールの音が聞こえてくる。これを家内はことのほか気に入り、外国に行くときも持っていって、この季節になるたびに、広い居間中にのどかなオルゴールの音を響かせていたものである。
 ところが、東京のデパートで最近売られているお雛様セットには、三人官女のほかに五人囃子をそろえているものは、それを見つけることすらむずかしくなってきた。オルゴール付きのものなど全く見かけない。それどころか、雄雛と雌雛しかいないものが相当多いのである。もっとも、そういう二点雛は結構なかなかに凝っている。着物は帯地であるし、一枚一枚ちゃんと着せてある。いわば一点、いや二点豪華主義なのである。都会の狭い住宅事情を反映しているのは間違いないが、それ以上にさしもの伝統も、実質主義によって次第に蚕食されつつある証左である。今世紀の末頃になって、良き日本の伝統であるこの季節の行事が、なお残っていることを切に望むものである。

(2001.2.30)9

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Noble Gentleman and Lady
Noble Dolls for Girls in March Season

熱 帯 魚

 私は、水槽に魚を飼っていたことは、延べにすると20年近くになるが、金魚、鯉など、どれも淡水魚である。いずれの魚も比較的長命だったと思うが、それというのも、私がせっせとマメにお世話をしたからである。私とて、色とりどりの海水魚を飼いたいと思ったことは、たびたびある。それにしても塩分とか温度の調整が難しいようなので、これ以上の面倒はご免とばかりに、ついぞ飼おうとはしなかった。
 しかし私の友人の一人は、そういう熱帯魚を大きな90センチ水槽一杯に 何匹も飼っていたのである。私は、そのお宅にお邪魔して、じっくりと鑑賞させてもらっていた。ところがある日、その友人は一月もの長期の休暇をとり、その水槽のお世話をお手伝いさんに頼んで出ていった。休暇が終わり、その人は自宅に帰って、その水槽を見てびっくり仰天した。何と、その水槽には、丸々と撮った大きなエンゼルフィッシュがただ一匹、悠々と泳いでいたからである。
(2001.02.08)8

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Memory of Angel Fish

節分の思い出

 2月3日の節分は、昔から豆まきをしたものである。母が豆を炒ってくれて、それを父や小さな妹たちと、縁側から暗い闇に向かって投げるのである。「鬼わぁぁぁ外、福わぁぁー内」というかけ声を掛ける。最初は手にいっぱい持って投げるが、そのうち、自分で食べる分がなくなるという貧乏根性が出て、2〜3粒しか投げなくなるというのも、例年のことであった。わが家らしい。ところで、現代っ子の家庭では、こういう行事をやっているのだろうか。
(2001. 2. 3)7

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Japanese Custom in February

グッピーの水槽

 鯉のお話としてエッセイにも書いたが、私はもともと観賞魚が好きなものだから、そうした水槽を見かけると必ず立ち止まり、魚と水草に見入ってしまうくせがある。私のオフィスにあるこのグッピー水槽もそれで、たくさんのグッピーたちが右へ左へとてんでに動いている様に見とれている。大きな魚の場合は動く方向が曲線的であるが、こういう小さな魚のときには、直線的に動き、曲がる角度が鋭角であるところが何とも不思議である。
 昔われわれが東南アジアにいた頃、まだ小さかった子供たちがこういう色とりどりのグッピーをたくさん拾ってきた。「いったい、どこからもらったの」と聞くと、「家の回りの溝に、いくらでもいるよ」と言われてびっくりしたことがある。そういえば、私の知人が現地で釣りに行って、50センチほどのアジア・アロワナが釣れて驚いたと言っていた。
(2001.1.28)6

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Guppy

越後湯沢駅


 お正月に、上越新幹線の越後湯沢駅を通りかかったときのスナップ写真である。この冬は、どういうわけか2001年に入ってから日本海側が記録的な大雪に見舞われた。このときはその直前であったが、それでも雪の量が例年より多いと感じたものである。
(2001.1.5)5

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The Yuzawa Station Covered by Snow

サンタクロース


 早いもので、もう年の瀬となった。ジングルベルを聞いて、一億にわかクリスチャンになる楽しい季節である。私たちは3年ほど前に出た「ダンシング・サンタ」という動く人形が好きで、今年も家内とデパートでそれを見つけた。相変わらず、楽しく腰を振って踊っていた。この写真の左上隅にいる。驚くべきは、その値段の下がりようで、確か3年前は1万円であったが、2年前は7千円弱となり、それが今年は何と1980円であった。しかし、家内は980円の値札のところも見つけたという。ここにも価格破壊の波が及んでいた。
(2000/12/17)4

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Dancing Santa Claus

金閣・銀閣


 2000年の晩秋の京都にて、鹿苑寺の金閣と東山慈照寺の銀閣とを一つにまとめてロールオーバーとした、誠に贅沢な写真である。おそらく、世界でこの一枚しかないに違いない。(2000/11/25)3
  旅行記「京都の旅」、写真
京都を参照。
 帯ゆらり
  京の舞妓の
   あでやかさ


 目にしみる
  苔じゅうたんに
   散るもみぢ
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龍安寺のもみじ


 2000年11月末、京都は龍安寺での紅葉の模様である。東京では、この季節は銀杏の黄葉が目立つが、さすがに京都では、もみじが赤く燃え立つようである。赤いトンネルの天井を見て、ただ呆然としてしまった。(2000/11/26)2
 秋深し
  古都のもみぢの
   紅をめで
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Red Maple Leaves at the Ryuanji Temple in Kyoto

晩秋の富士山


 1999年の10月末の頃のことである。テニスの合宿で河口湖に行き、そこで泊まった。その翌日、朝食を終えてすがすがしい気分で散歩に出かけた。
 すると、私の目の前に大きく富士山が立ちはだかった。その優美な山肌、真っ青な空と薄く白い雲の重なり合いが神々しいほどである。すすきをかき分けて、その富士の姿を撮らせていただいた。生涯で最高のショットのひとつである。
(1999/10/24)1

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The Fuji Mountain from the Kawaguchi Lake




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