This is my essay.








 久しぶりに、大学時代の同級生の集まりがあった。銀行に行ったひとりが出世し、とうとう花のロンドンに赴任の辞令が出たので、皆で送別会でもしようというのが、本日の趣旨である。気がつくと卒業後30年間も経ってしまった。そう思って見渡してみると、皆の頭がとろこどころ白くなっていたり、そもそも頭髪なるものがなかったりして、まあその風体は気勢があがらないこと甚だしいものの、その代わり気持ちだけは卒業した直後の頃と変わらずに、意気軒昂である。昔どおりの馬鹿話に花を咲かせているうちに、ひょいっと、A君が目に入った。

 実はこの人、学生時代には、坊ちゃん坊ちゃんして方言丸出しで、とても人懐こい性格だった。そう思って会話を聞いていると、その話しぶりは学生時代のままである。その頭の髪の毛は、もうほとんど残っていないけれども、30年間も経っても、人間こんなところは変わらないのである。

 そんなA君と話をしていて、遠い昔の記憶が甦ってきた。学生時代、道でA君とばったり出くわした。それがたまたま彼の下宿の近くだったので、
「おお、寄ってけ、寄ってけ」という彼の訛った声につられてその部屋に上がってみた。すると、どうだろうか。確か3年生の終わりだというのに、部屋の中には全く何にもない。さっぱりというのを通り越して、寒々しいばかりである。ただひとつ、小さな木机が部屋の片隅にポツンと置いてあった。

 その机の上には、わずかに憲法の本がひとつと、民法の本それも我妻の第一巻だけでほかの本は、きれいさっぱり何にもない。私は一瞬
「いやー、これは清々していい」とは思ったものの、「それにしても、家財道具や本なしでどうやって生活しているのか」と、とても気になった。好奇心にかられて、そのたったひとつの家具である机の引き出しを開けてみようとしたら、これが異様に重いのである。かまわず、ひきだしをそのまま引っ張ってみたところ、中には何と、競馬新聞が目一杯詰まっているではない。横で見ていたA君は、ポリポリと頭をかいていた。

 そういえばこのA君、学生なのにあるときは立派なスーツを着こなしていたと思えば、次の日には一変してTシャツ一枚の来たきり雀だったこともあった。
「おい、どうした」と聞いても、「ううん、へへへっ」と、ごまかされたものである。鈍い私は不思議に思うだけだったが、別の友人が、「あいつは競馬で当てたらその金を豪勢に使い、すってしまったら、質屋通いだ」と語っていたことを思い出した。まさか冗談だろうと思っていたが、どうやら本当だったらしい。しかし、卒業後のA君の進路は、ある一流の銀行だった。そこで私も、さすがに銀行員になったのだから、A君はもうばくちは止めたのだろうなと想像していたのである。

 さて、30年後の今になって、A君と顔をあわせたので、長い間、心にひっかかっていたこのことが思いだされた。しかし、いきなり本人に直接聞くのもはばかられて、しばらくは別の話をしていた。そのうち周囲の一人が、
「家につまらない電話がかかってきて、商品投資をしないかとうるさい。あんなもの、する奴なんているのか」と語った。するとA君は、気のせいか目がきらりと光ったと思いきや、「おお、やり方によっては儲かるよ」という。「へえ、やったの」と聞くと、「とうもろこしをやったんだ。追証、追証とうるさくてね」というので、「ひょっとして、損したのか」

 
「いゃー、1025万円すった」と、こともなげにいうのには、びっくりした。「でも、どうして」というと、「いや、天候を読み間違って、先物を売っていたのに、旱魃になって上ってしまったのさ。それさえなければ儲かっていたはずなんだけど」と、平気な顔をしていう。私なら、そんなに損をしたら、くやしくて話もしたくないが、どうやら賭け事の好きな人は、違うらしい。

 そこで私も調子に乗って、
「競馬、どうなんだい。やってるか」と聞いた。A君は、「それそれ、パソコンで賭けられるから、便利だよ。こんなところにいなくて、早く帰りたい」と言い始めた。「それはいいけど、勝ってるの」というと、「今年に入って、200万マイナスだな。」とこともなげに言う。びっくりして、「卒業してこれまで、いったいいくら勝ったりしたんだ?」と問うと、「そうさなー、6,000万円くらい負けたかな」と言い出したのには、周囲も含めてびっくり仰天した。ああ、こういう性癖は、一生変わらないらしい。

 ところで、こういう風に、事柄の良し悪しは別として、これだけ一つのことに熱中できるのは、ある意味で幸せな人生なのかもしれない。ちなみにこのA君、子供がないようで、同じ趣味を持つ奥さんと二人で、仲むつまじく暮らしているということである。これも生き方のひとつであろう。まあ、いいではないか。いやそれどころか、いささか羨ましい気もするのである。




【後日談 1】

 その後、A君からわれわれ同級生にメールが来て、銀行を退職することとなったという。何でも、今はやりの銀行大合併で働く銀行がどこかと統合されて以来、新しくなった管理形態になじめず、何事につけ非常に世知辛くなってしまい、居心地が悪くなったとのこと。そこで、郷里に帰る決心をしたらしい。今は故郷の暖かい地で、奥さんとたった二人、のんびりと・・・いやいや、ラジオ片手にパソコン画面と首っ引きで、大好きな馬を追っていることだろう。




【後日談 2】

 さらに5年の歳月が経った。ある日、A君の訃報が同窓会のメーリング・リストを駆け巡ったので、みな驚いた。われわれ同級生の代表が、お葬式に参列した。その後、奥様からこんなメールをいただいた。

 知らぬ間に日本シリーズ(野球)の季節になりました。近鉄がなつかしいです。

 さて先日の私の夫の葬儀・告別式に際しましては、いろいろご尽力をいただき有難うございました。同窓会の皆様におかれましては、御参列、御香典、御供花、弔電など思ってもいないほどしていただき感謝しております。厚く御礼申し上げます。

 思い返せば本年二月、CT検査にひっかかり、三月十八日に肝内胆管癌の十一時間近くにおよぶ大手術を致しましたが、かいもなくあっという間に今日に至りました。闘病中はつらく苦しい事も多く、七月の末に担当の先生から年を越すのは難しいかも知れないと言われました時には、私も家に帰り号泣してしまいました。

 夫は「そんなに悲しんで泣いてくれる人がいて僕は幸せだ」と言っていました。又「あなたにはがんばって長生きして欲しい。それが僕の願いだ。君は、ぼけないでよ」と言っていました。言われた通りにはがんばれませんが、私なりに、私らしく生きて行こうと思います。これからもどうか夫の生前同様のお付き合いを頂けますようよろしくお願い致します。

 取り急ぎお礼申し上げます。名簿もお送りいただきありがとうございました。時節柄お体ご自愛下さい。

                         かしこ


 なんというか、人生は誠にはかないものであるが、彼なりに奥さんを愛し、楽しんで生き、そして去って行ったということかもしれない。謹んでご冥福をお祈りしたい。


(平成15年6月18日著、17年4月8日・20年10月22日加筆
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悠々人生・邯鄲の夢





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