This is my essay.








 私が青年時代に上京してから、もう四半世紀以上も経つ。最初の住まいを中野・杉並にして以来、ずっとその地に住み続けてきた。私のように地方から出てきた者にとって、この山の手地区は、都会的で清潔である反面、適度によそよそしい雰囲気も感じられた。しかし若かった私には、かえってそれが気に入った。干渉されないことが保証されていたからである。

 ところが四年ほど前、私は突然その住まいを東京の典型的な下町である「谷根千」に移してしまい、周りの人たちを唖然とさせた。谷根千とは、谷中、根津、千駄木のことで、山の手から続いている武蔵野台地が本郷で尽きた先というか、上野の森や不忍池の北側に当たる。

 そのきっかけは、故司馬遼太郎の「街道をゆく・本郷界隈」だった。もとより司馬文学のファンであった私は、「坂の上の雲」を読んで日本の行く末を想い、何か自分も役に立ちたいという気になっていたところである。これは、ちょうどそのころ大学紛争で荒れていた学生時代にあって、誠に良き人生の羅針盤となった。

 東京で勤めるようになってからも、連日午前様の激務の中で寸刻を惜しんで「竜馬がゆく」、「花神」、「峠」などを読み、幕末維新の世界に遊んだものである。この「街道をゆく」シリーズは、日本各地はいうまでもなく、北はモンゴルから南は雲南省や台湾、そしてオランダやニューヨークなども網羅した壮大な紀行文学である。いわば日本人のルーツと足跡が残された地を舞台にして、声高らかに司馬節が謡い上げられている。

 ほとほと感心するのは、ある時は歴史の大きな叙事詩が語られたかと思うと、次に市井の細々とした事柄が庶民の視点で綴られていて、それらが同じ本の中で実にしっくりと調和している点である。この司馬マジックにかかると、道ばたの何でもないお地蔵様が、途方もなく大きな大仏様に変身するような気になってしまう。「街道をゆく」シリーズの中で東京が取り上げられているのは、「本郷界隈」と「本所深川散歩・神田界隈」である。あるとき、家内と二人でその辺りをそぞろ歩くこととした。

 神田お玉ヶ池の千葉道場跡を探し、本郷から湯島に抜ける途中で一葉と逍遙に思いをはせ、谷根千に入って根津権現から鴎外や漱石の旧居跡を見た。たった一日だけの文学散歩だったが、幕末と明治の雰囲気を十分に満喫した。しかもその途中でいろいろと意外な発見をし、われわれ二人とも、谷根千の辺りが非常になつかしい気がしたのである。

 とりわけ谷根千では、狭い路地に隣の声が聞こえてきそうなくらいに、びっしりと家や商店が建ち並ぶ。それぞれの家は小さいながらもこざっぱりとしている。江戸以来の濃密な人間関係の名残か、お店の人と話しをしても、そこはかとなく人情を感じるのである。生意気盛りの青年時代には山手の「よそよそしさ」が好ましかったが、中年といわれる年齢になると、こうした「からみつく」ような人間関係もまた、何やら心地よくなってきたのである。そういうわけで、この地区でマンションが売り出された時、ためらいもなく衝動買いをしてしまった。

 もっとも、今は多少の後悔もないわけではない。それは、その後の平成不況で土地の価格は見る影もなく下落し、お手頃の価格でマンションが近辺に立ち並ぶようになった。それでも家内と語り合っている。「都心へこれほど近く、しかもこんな眺望のよいところはないよ」、「そうよ、そう思わなくっちゃ。」





(平成10年2月23日著に平成12年10月16日加筆)
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悠々人生・邯鄲の夢





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