悠々人生のエッセイ








 2001年9月11日朝、アメリカ国内で4機の旅客機が同時にハイジャックされた。ところがこれらの旅客機を操縦するハイジャック犯人たちは、事もあろうにニューヨークの摩天楼ビルとペンタゴンに対して、そのまま乗客もろとも突入するという前代未聞の自爆型テロ攻撃事件が起こった。これらの旅客機には合計266人が搭乗しており、その全員が死亡したとみられる。2機がそれぞれに突っ込んだ南北2棟の世界貿易センタービルは、1時間たらずのうちに崩壊してしまったが、通常であればその中では5万人が働いていたという。これに加えて最初の攻撃でビル内に救助に向かった消防士と警察官たちが全員行方不明となったが、合わせて300人はいたらしい。一方、ワシントンの国防省であるペンタゴンの建物には1機が突入し、200人ぐらいが亡くなったようだ。最後の1機は機内で乗客らが抵抗したために、どうやらその目標を攻撃できずにピッツバーグ近郊に墜落してしまった。これらを総合すると、犠牲者の数はまだ正確に数えられていないが、少なくとも5,000人は超えるものとみられている。

 特に110階建ての威容を誇る世界貿易センタービルへの攻撃については、いろいろな角度から映像が撮られていて、それらが繰り返しテレビで放映された。それは誠に衝撃的な光景である。まず北棟の比較的上の階のあたりに1機目が「ノ」の字にぶつかった。穴が空き、もくもくと灰色の煙が上がり、書類、それにガラスや窓枠の破片が散る。このとき、上部からパラパラと何か落ちてきたが、どうやら人が飛び降りたらしい。これだけでも驚きのあまり口がきけないほどなのに、きっかり18分後、何と別の旅客機が現れて、そのまま南棟の中間より下に突入した。よほど燃料を積んでいたとみえて、真っ赤な雲が生じ、またたく間にビル全体が一気に倒壊した。建物の上半身がスローモーションのように崩れていき、タコの八本足をひっくり返したような灰色の雲が生じた。すると今度は、その奇怪な灰色の雲が地上に降り立ってビルの谷間に広がり、人々は必死になって逃げまどった。まるで映画「GOZZILA」の一場面を見ているかのようであるが、これが現実のシーンだとはとても思えないほどである。私は今年の年頭にあたり、
新しい世紀を迎えてと題したエッセイを書いた。その中で「今世紀には国と国との本格的戦争はないとしても、新たな『テロの時代』に突入するかもしれない」と述べたが、残念なことに、その予想がこれほど早く当たってしまうとは思わなかった。

 この卑劣なテロ攻撃は、かつてないほどの悲惨で衝撃的な出来事であり、語る言葉もないが、テレビ画面を通じて被害者の家族が涙ながらに語る様子を見ると、本当に胸が痛む。ただ、そうして驚きと悲しみを味わったあとでは、今度はブッシュ大統領の言うように、「静かな怒り」に満ちてくる自分に気づく。超大国としての威厳と繁栄に水を差されたアメリカとしては、これから徹底的に事件の背景を調べて、関係者の逮捕拘束はもちろん、軍事行動に出るものと思われる。アフガニスタンに隠れて世界中の反米テロを指揮してきたというオサマ・ビンラーディン氏という大富豪あたりが怪しいとして、この人物を匿っているという同国のタリバーン政権に対する攻撃があるのではないかといわれている。

 一度の攻撃で、5,000人もの一般市民が死亡するという事態は、戦争という以外に言いようがない。しかしこれまでの近代戦争は、国と国との間で行われてきたことから、変な言い方ではあるが、戦争に関する法規やルールがそれなりに確立していた。ところが今回の事態はテロという形をとっているので、無警告で突然、一般市民を無差別に攻撃した。もちろん宣戦布告はないし、どこの国の誰がやったのかということからまず調べなければならないのである。闇夜を歩いていたら、いきなり斬りかかられたものの、悔しいかな、その相手が見えないのである。どこの誰かもわからない。アメリカは国家の威信をかけて捜査中ということであるが、近く何らかの答えを出して、その相手と匿った者に対して徹底的に追求し、必要に応じて軍事攻撃をしかけるのであろう。

 罪もないこれほどの数の市民を一瞬にして死に追いやった、その残酷非道な行為は、決して許されるべきでない。その意味で、犯人を断罪することは当然のことである。ただ、これを個人の犯罪とそれに対する処罰と考えるか、それとも国家間の戦争ととらえるかでは、大きな違いがある。従来の思考であれば前者であるが、それではアメリカ国民が収まるまい。かといって、一気に後者というのも飛躍がある。すると、答えはその中間で、いわば昔の中国の軍閥に対する攻撃のようなものか。新しいタイプの戦争といえる。オサマ・ビンラーディンも、何百人もの私兵に守られているらしい。

 いずれにせよ、アメリカの予定している攻撃の対象や範囲、それにその程度を見なければ何ともいえないが、たいした証拠もないのに闇雲に攻撃をしかけると、イスラエルとパレスチナとの間で現在行われている第二次インティフィーダに伴う報復のやりとりの泥沼のように、報復が報復を呼び、当事者でもそのうち何が何だかわからぬといった事態になりかねない。今回のテロが、単なる嫌米が原因というものでもなさそうで、とりわけいわゆるアラブの大義とかイスラムの宗教的信念がからんで引き起こされたということとなれば、事は簡単ではない。今回の乗っ取り犯は、全員がもちろん自爆しているが、パレスチナ人による対イスラエル自爆テロとそっくりである。中東の紛争の形態が、そのままアメリカに伝播してしまったもののようだ。

 宗教を背景とするテロといえば、日本でも1995年にオウム真理教による化学兵器を使ったテロである地下鉄サリン事件が起こった。このときも数人の死者と5000人を上回る重軽傷者が出た。仮に今回のこのアメリカに対するテロ行為が、とりわけイスラム原理主義に基づくものであるとしたら、ジハードのためには自爆テロも辞さないというのも合点がいく。そしてそれがいったんジハード(聖戦)と結びつくと、人命の価値は非常に軽くなる。たとえば1980年から88年まで続いたイラン・イラク戦争では、少年兵に地雷原を歩かせて地雷を処理していったという。

 まあ、これは極端な例であろうが、それにしてもイスラムを国教とする国々での宗教的信念たるや、宗教音痴のわれわれ日本人の想像を絶するものがある。今年の5月に富山県小杉市で道ばたに聖典のコーランが破棄されていたことから、日本にいるイスラム教徒が強く抗議したという事件があった。普通の日本人は、何が何だかわからないという顔をしていたが、イスラム教徒にとってコーランは命より大事なものであり、全く許せない暴挙と映ったのである。20年ほど前の話になるが、日本の会社が製造した自動車のタイヤをサウジアラビアに輸出したところ、そのタイヤの溝の模様が「アラーは偉大なり」というアラビア文字とそっくりで、そういうものを地べたに接して使うのはけしからぬということで、使用禁止となったという話はつとに有名である。

 実は私も、イスラム教徒が多い国にしばらく住んでいたことがあり、その宗教的慣習をつぶさに見たことがある。信者は特別の儀式(ハラール)を経た食物しか口にしてはいけない。それから、豚は不浄のものとして、決して食べない。豚を調理した包丁やまな板はもちろん、その調理に使った台所も不浄のものとなるし、、豚の脂などもタブーである。それはそれは驚くほど厳格なものである。どうしてこういうタブーが生まれたかというと、その昔、豚には人に有害な寄生虫が多くて、それを食べて軍事力がそがれることを懸念した指導者が禁止したという説明が行われている。しかし、それが理由なら、現代のSPF豚などはいいではないかと思うのであるが、宗教的タブーとなってしまっている以上、どうやら見直される可能性は皆無である。

 また信者は、毎日決まって五回、メッカなどの聖地の方向に向かって礼拝する。イスラム圏のホテルの宿泊すると、部屋の天井に矢印が描かれているが、それがメッカの方向である。毛布を敷き、お尻より頭を低くして絶対的に帰依するという形をとるのである。朝一番のお祈りは午前5時くらいにはじまる。あのタマネギ状のモスクでは、その時間に信者が集まってお祈りをする。その際、コーランの朗読をスピーカーで朗々と流すが、なかなか荘厳で厳粛な感じがする。もっとも、慣れない外国人には単なる騒音にすぎない。このお祈りは、時間がくれば場所を問わない。たとえば信心深い運転手であれば仕事中にこれをやるために、時間になるとわざわざ運転中に道ばたに車を寄せて、じっくりとお祈りを始める。

 それから有名なのは、四人まで女房を持てるという一夫多妻の習慣である
(注)。かのビンラディン氏はサウジのメッカの富豪の息子で、何でも52人の兄弟中で18番目の子に相当し、父が死んだときに3億ドルの遺産を手にしたという。それはともかく、この一夫多妻制も、その昔、戦争による孤児寡婦対策のために戦士に勧めたことから始まったということである。私のみるところ、これは社会的地位の上下とか収入の多寡とは関係がない。たとえ貧しい人でも、四人の女房を抱えている人もいた。日本人なら、「女房なんて一人でも大変なのに、それが四人となると、相当大変だろうなぁ」などと思うところであるが、そんな感想を言う人は、とっても複数の女房を持つ資格がないらしい。実際の例を見聞きすると、複数の女房をもっているイスラム教徒は、実にマメなのである。何曜日は第一女房、何曜日は第二女房などと公平に扱わなければいけないという。

 門外漢からすると、第二番目以下の女房をもらうときには、いったいどうするのだろうと心配するのであるが、これについては、現地でおもしろい漫画を見た。でっぷりと太った女房がベッドに寝そべっている。お菓子を食べながらテレビを見ていて、そのうち寝入ってしまった。その横に旦那がするすると這い寄ってきて、その寝ている女房の指にスタンプを付け、書類にその指を押しつけている。そして次のシーンは、うら若い女性を娶ったその旦那がうれしそうな顔をしているというものである。現地の人によれば、第二の女房をもらうためには第一夫人の了解が必要で、第三の女房をもらうには第一と第二夫人の了解が必要とのこと。つまりこれは、なかなか第一夫人の了解がもらえないので、寝ているときに書類にいわば印を押させ、それで第二夫人をもらったというシーンなのである。それで、この漫画の続きはどうなったかというと、それからこの第一夫人は豚のように太った自らの体を恥じ、ダイエットに努めて細身になり、再び旦那の前に現れて、赤の他人と間違えた旦那の「誘惑」に成功するというストーリーである。

 ラマダンという一ヶ月にわたる断食期間も、外国人にとっては慣れないものの一つである。もちろん断食といっても文字通り一ヶ月もの間、何も食事をしないというわけではない。正確にいえば、日の出から日の入りまでの間は、飲まない食わない吸わないというものである。自分の唾すら飲み込んではいけない。そのため、人々はどうするかといえば、要するに日中は食べられないわけであるから、夜間の11時間という間に三食を食べるのである。だから、ラマダンの間には食べられないのがつらいのではなく、寝られないから大変なのである。この間、運転手が仕事中に居眠りをして事故を起こすことがあるので注意すべし、というのは在留邦人の常識である。そもそもなぜこういう習慣ができたかというと、貧しい人たちのことを常に思い起こせというらしい。ただ現実には、ラマダンの時の食料消費量がもっとも多いとのこと。

 あるとき、たまたまラマダンの時期に現地の電力会社と会合を開くこととなった日本の会社があった。東京の本社から交渉団がやってきて、その電力会社に着いた。午前中のセッションが終わり、さあ昼食という段になって、はたと先方がラマダンということに気が付いたという。現地の電力会社側の出席者は、たまたまイスラム教徒ばかりだったので、「はて困ったな、どうするのかな」と思いつつ、その場にとどまっていると、やがて食事が運ばれてきた。すると、その食事は先方の席を通りすぎて、そのまま日本側交渉団の前に置かれた。そして、「さあ、食べろ」という。先方の人たちは、日本人が食事するのをそのまま黙って眺めていたという。実に、おいしくない食事だったそうだ。

 また、酒はタブーというのも、よく知られている。コーランにあるらしい。ところが、これも人による。ある日本の商社の人がイスラム教徒の家に招かれて、歓談をした。何人かいたお客の中で、たまたまイスラム教徒が先に失礼し、残るは外国人ばかりとなった。それをまっていたかのように、ホストは壁の隠し扉を開けた。すると、そこにはずらりとウィスキーやらブランデーが並んでいた。彼は「さあ、どれにしますか」といって、率先して酔いつぶれたという。そのひとは、二人以上だと敬虔なイスラム教徒なのに、ひとりだと無宗教者になってしまうのではないか」と苦笑していた。

 イスラム圏では、いわゆる物乞いが威張っているのである。どういうことかというと、人それぞれにアラーの神が「えんま帳」のようなものを用意しており、生前の善行を記録している。善行の篤い人ほど、死後は天国に行けるのである。そして、金持ちにとっての善行とは、もちろん貧しい人たちに施しをすることである。したがって、物乞いがお金をもらうということは、とりもなおさずその相手方に善行を積ませる機会を与えてあげているから、物乞いは偉いというわけである。

 また、コーランには、利子などという不労所得を得てはいけないということが書いてある。そこで、これを文字通り守ってしまうと、金貸しはもちろん、銀行などという存在は悪なのである。ところが、実際にはイスラム銀行がある。どうやら、「利子」ではなく「手数料」をとっているらしい。なぜこれが正当化されるのか、その理屈は、いくら聞いてもわからなかった。要するに、物は言い様ということらしい。

 さらに、思いつくままに記すと、イスラム教徒にとって、一生に一回は、聖地のメッカに巡礼することが生涯の理想らしいのである。したがって、昔は相当な困難を覚悟して、聖地巡礼を目指したものである。こうして聖地に一度参った人は、「ハジ」(女性は確か「ハジャ」)といって尊敬される。ちょうど博士号をとった人がその名前の前に「ドクター」と付けるように、それが尊称になっている。ところが現代は、飛行機賃だけあれば、簡単に巡礼できるようになってしまったから、あまり有難味はなくなってしまった。それでも貧しい一般大衆にとっては大事業で、そのためにコツコツと貯金し、それを受け入れる政府系貯蓄機関まである。

 以上のような話は、宗教音痴のわれわれ日本人には理解しがたいところが多いが、それがイスラムのイスラムたる特徴であり、「西洋流合理主義」では推し量りがたいところである。考えてみれば、イスラム教は、世界の大宗教の中でも七世紀に始まった比較的新しいものであるだけでなく、その広まり方も急激でしかも長期間の繁栄を誇ったことから、草創期の宗教的情熱というものも、まだ世界のそこここに、ふつふつとして残っているのではなかろうか。

 それに比べてキリスト教などは、バチカンに対するルターの宗教改革などの大変革期を経て、近代社会に適応していったのである。そもそもプロテスタンティズムと資本主義の精神というのは、表裏一体だったというのであるから、キリスト教というのも、その頃を期に、いわば「一皮むけた」ことになったのであろう。日本というのは、さらに独特である。すでに聖徳太子の頃には仏教か神道かとの争いがあったし、鎌倉時代には仏教の多様な宗派の発展があったわけであり、また江戸時代を通じて神仏混交も進んだ。その過程で、一皮むけるどころか、おおかたの日本人は宗教を超越してしまったかのごとくである。ところが、イスラムは、そういった段階に至ることもなく、まだまだ宗教的に元気なところらしい。

 日本人だと、なあなあ主義で、「まあ、いいじゃないか」と適当なところで妥協しようとするが、最近のとりわけイスラム原理主義となると全く逆で、コーランの世界そのものを厳密に実現しようとし、それを妨げるものはすべて敵となる。特に聖戦での殉教者はそのまま聖人となって、他に70人を天国に行かせる力を持つということらしいので、こういう信仰の集団と戦うのは、誠に容易ではない。中世の戦国時代の日本でも、一部の仏教集団で同じような教義の信仰があった。それに話は飛ぶが、ビンラディン氏の引き渡しを求められたアフガニスタンのタリバーンの指導者オマーム師は、「われわれを頼ってきた客人を渡すわけにはいかない」といっている由。いや、これもどこかで聞いたことのある台詞である。ふーむ、そうだ、これは清水次郎長の世界ではないか。それが近代合理主義の米国と戦うわけか。いやいやこれは、ますますもって大変である。宗教戦争になっては、終わりがない。願わくば、世界平和の秩序がこれ以上乱されないことを祈るばかりである。


(注)一夫多妻制
 コーラン第4章第3節では、「もし汝たちが孤児を公正に処遇してやれそうもないと思うのであれば、誰か気に入った女を娶るとよい。二人でも、三人でも、四人でも。しかし、妻の数が多くて公平に扱えないようであるなら、妻は一人だけにしておくか、それとも女奴隷だけで我慢しておくがよい。その方が不公平になる心配が少なくなるからである。」としている。もっとも、その第129節では「大勢の妻に対してその全部を公平に扱おうというのは、たとえそのつもりであっても、なかなか容易なことではない。しかしながらそうかといって、あまりに公平でなくなって、そのうち誰か一人をまるで宙ぶらりんのように放っておいてはいけない。」ともいう。そして、これを根拠にイスラム圏でもトルコとチュニジアだけは、一夫多妻制を法律で禁止している。



(平成13年 9月16日著)
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