悠々人生・邯鄲の夢エッセイ








 いつも食べに行く近くの蕎麦屋に、おもしろい額がかかっている。その名も、「親父の小言」というのである。わずか横1メートルにもならない額であるが、全38ヶ条を読めば読むほどになかなか味わいがある。作者は、「相馬藩大聖寺暁仙僧正」というらしい。ということは、どうも江戸時代の作のように見えるので、ここに全文を引用してみたい。上下の二段になっている。写真から作っているので、あるいは誤りがあるかもしれないが、その場合はお許し願いたい。

  朝きげんよくしろ
  人には腹を立てるな
  恩は遠くからかへせ
  人には馬鹿にされていろ
  年忌法事をしろ
  家業には精を出せ
  働いて儲けて使へ
  人には貸してやれ
  女房は早くもて
  ばくちは決して打つな
  大めしは喰うな
  自らに過信するな
  大事は覚悟しておけ
  戸締りに気をつけろ
  拾はば届け身につけるな
  何事も身分相応にせよ
  泣きごとは云うな
  神仏はよく拝ませ
  人の苦労は助けてやれ
  火は粗末にするな
  風吹きに遠出するな
  年寄りはいたわれ
  子の云うこと八九きくな
  初心は忘れるな
  借りては使うな
  不吉は云うべからず
  難渋な人にほどこせ
  義理は欠かすな
  大酒は飲むな
  判事はきつく断れ
  貧乏は苦にするな
  水は絶やさぬようにしろ
  怪我と災は恥と思へ
  小商もの値切るな
  産前産後大切にしろ
  万事に気を配れ
  病気は仰山にしろ
  家内は笑うて暮らせ


 どうだろう、それぞれ、とても含蓄のある言葉ではないか。一介の庶民の身の処し方としては、これに勝る格言はないだろうと思われる。ただし、いささか志のある人には、これら38ヶ条中のいくつかには反論があるかもしれない。たとえば「人には馬鹿にされていろ」などは、「大事を果たさんとすれば、人とぶつかって説得し、場合によっては力でねじふせることもやらなければならない」と考えている人にとっては、何と小市民的であることかというわけである。まあ、そういう元気のある人は別として、世の中を穏和に正しく過ごしていくときの庶民向け処世訓としては、出来が良いではないか。これらの事柄の概ねは、いつの時代でも、どこの国に住もうとも世界に共通して通用する格言であろう。ちなみに私自身は、多少は人生にまだ山気があるせいか、いつになったらここに書かれているようなことをすべて実践できるのか、はなはだ心許ない限りである。

 さて、ある土曜日のこと、いつものように東大の裏手にあるこの蕎麦屋に食べに行き、家内は天ぷら蕎麦、私は考えた末に「にしん蕎麦」と「山菜蕎麦」を足したようなものを注文した。蕎麦屋は面食らったようであるが、にしん蕎麦に山菜を入れるか、あるいはその逆でもよいというと、一挙に納得した。注文の品が来るまでは、この額を見上げながらひまをつぶした。

 待つことしばし。そのお蕎麦が実際にやって来た。すると、山菜の頼りなさとにしんのクセのある味わいとがミックスして、なかなかよい。かくして大いに満足して、お腹をいっぱいにして出てきたのである。それから近くの秋葉原に出かけてプリンターの部品を買い、ぶらぶらと戻ってくる途中、何とこの額を売っている店を見つけたのである。この蕎麦屋以外で、しかも一日のうちに二回も見かけるなんて、全くの偶然にしては不思議なこともあるものだと思った次第である。

 さてそれはともかく、蕎麦屋でつくづくこの額を見ていると、現代の若者に対しては、もっと基本的なところを言わなければいけないのではないかと思い当たった。道を歩いていたり、電車に乗ったり、オフィスで仕事をして若者を見ていると、こんな程度では甘いという認識の方が強くなってくる。そこで、現代版の親父の小言を作ってみた。

  人に会ったら挨拶をしろ
  人にぶつかったら謝れ
  インクで髪を金や赤や紫に染めるな
  ピアスとかいって鼻やへそに穴を開けるな
  大音響をあげてバイクを運転するな
  道ばたでへたるようにすわるな
  電車の中や歩きながら音楽を聞くな
  公衆の面前で堂々と化粧などするな
  道ばたや電車の中で抱き合ったりキスしたりするな
  夏の暑苦しい時にスキー帽などかぶるな
  顔に変な模様を塗りたくるな
  日焼けしたガングロ顔を人様に見せるな
  若い男よなよなよとするな
  ところかまわず携帯を使うな
  親に無断で外国などへ勝手に旅行するな
  仲間同士のおしゃべりで廊下や道をふさぐな


 などなどであるが、これを書いてみて、ふと気が付いたことがある。自分のことで恐縮だが、私の子供たちについては、ごく小さい時から私が口うるさく躾けをしたせいか、大人になる前も大人になった今も、絶対こういうことは言う必要がなかった。こうした当たり前の「小言」を、それこそいい年した若者にわざわざ言わなければならないということは、そもそも、彼らの親の躾けがなっていなかったせいではないだろうか。それだから、二十歳前後の若者相手にまるで小学生を相手にしているような小言をぶつけなければならないのである。

 しかもその大半は、お行儀に類するたぐいのものである。とても道徳といえるほどの高尚なものではない。戦後日本は、その時代が下るに連れて、だんだんと住む人間の品格や質が落ちてきているのかもしれない。ところが、最近相次いで少年が引き起こす凶悪な犯罪を見るにつけ、問題はもはやそれどころではない危機的な状況にある。とりわけ最近の17歳に対しては、「人を殺すな」などと当たり前のことまで言わなければならない。規律や道徳観念などを云々する以前の問題で、本当に困った社会になってしまったのである。

 平成12年12月10日の朝日新聞を読んでいて、おもしろい記事を見つけた。徳川家譜代大名のひとつに彦根藩の井伊家というものがある。あの安政の大獄の井伊直弼を生んだ由緒ある家柄である。その井伊家のお側役であった西尾家の先祖が、若殿(おそらく第12代藩主の直亮ナオアキ)の言行に苦言を呈した18ヶ条が見つかったというのである。全部は載っていなかったが、次の通りである。

  側役に隠し事をするな
  けちは徳行の災いで人望もなくなる
  諸事に決断力がない。
    人に任せたことを懸念しては、大業は成就しない
  思いやりがない 忠恕の道を第一に
  家来の評判を口にするな
  乗馬の時間を守れ
  武芸の稽古で弱い者をひどく打つな
  たばこぐらいは自分で吸え

 いやはや、いつの時代も非常識な若者には苦労したようで、現代だけではないのかなと思い始めたところである。







(平成12年12月12日著)
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