This is my essay.







 2月も半ばをすぎると、お昼はぽかぽかと暖かくなる日も出てくる。この土曜日はまさにそれで、ちょっと浮き浮きして家内と上野方面に歩いていった。特に、これという当てもなく、単なる散歩のつもりである。途中、弥生会館があって、そこで雛人形が並べてあるというので、寄ってみた。なるほど、7段飾りの大層なものである。家のスペースに余裕があれば、孫娘ができたときなどにほしくなるかもしれない。男雛と女雛の顔をつくづくと眺めていたら、非常にモダンな感じの顔である。私が小さいときに、妹たちのお雛様は、もっと下ぶくれの顔をしていて、こんなに目鼻立ちがすっきりとはしていなかったと思う。こんなところにも、国際化の影響が出ているのかもしれない。

 その少し先には動物園があり、それから不忍池に出ようかというところで、「そうだ、伊豆榮の梅川亭で、うなぎを食べよう」ということになった。後戻りをして、モノレールの下をくぐって梅川亭に急いだ。東照宮に階段を上がってすぐの右手にある。まだ1時判を回ったばかりなので、少し待ったが、すんなりと座れて、うなぎの梅を注文した。和服を着た仲居さんが忙しく立ち回って、どの人も疲れている様子である。昼食の繁忙時をちょっと過ぎたばかりなので、疲れが明らかに顔に出ている。いささか、つっけんどんである。

 ここには、和室と椅子席があるが、もちろん和室の方がゆったりとしている。それでも、今日は椅子にすぐ座れただけでもましな方である。暇なので立ち上がって店内を見に回り、ガラス戸を開けて外に出たところ、何と赤い毛氈の席が外にしつらえてあって、寒い中を何人かがそういうところでお弁当を食べていたのには、びっくりした。家内にそのことをいうと、「どれ。どれ」といって見に行って、これまた目を丸くして帰ってきた。ちょどお店のおじさんが通りかかったのでその席について聞くと、「今日はあまりお客さんがいないが、春や秋にはこちらの席から先に埋まります」という。そりゃ、そうだろう。しかし、冬にオーバーを着込んでこういうところでお弁当を食べるというのも、一興というのを通り越して、物好きではないだろうか。



 待っていると、目の前に敷かれた紙が目に入った。飛脚の図柄である。どこかの運送会社のような絵であるが、どうやら、こちらが本家であろう。まあ、そうこうしているうちに、うなぎが来て、食べ始めた。家内が味はどうかと聞くので、「油が抜いてあるようで、それで、あまりおいしくない」と答えた。次いで、どこのうなぎ屋がおいしいと思うと私が聞くと、「この伊豆榮の本店は、まあまあおいしいと思うわ」という。私が、「東京タワーのあたりの「N」といううなぎ屋も、結構おいしいよ」というと、「ああ、それは、どこかのデパートに入っていたわ」と、家内もなかなか知っている。それでは、ということで、とっておきの話を聞かせた。

   その「N」の本店に行くと、「当店は、利根川の天然うなぎを使っております。十分注意はしておりますが、ときどき、釣ったときの『針』が入っていますので、お気をつけください」と言われる。
 家内 ふうーん。それで、どうなの。
   実際、ときどき入っている。
 家内 まあ、ほんと。それはすごいわ。
   ところが、この話には続きがある。
 家内 はあ?
   私が一度、ある先輩に対してそういう話をしたことがある。その人はこう言った。
   『実際に釣り針を見つけたという人もいるが、この店はわざと針をいれているという噂もある』だって。
 家内 ははははっ!

 という馬鹿話をしながら時は過ぎていき、幸せな昼食の時間が終わり、気がついてみると、周囲の客はあらかたいなくなっていた。さて、ということでわれわれもおいとまをした。

 梅川亭を出て、坂を下っていくと、どことなく梅の香りがただよってくる。隣の神社からである。ふらふらとそれにつられて参拝をした。入り口には、白梅、奥の方には紅梅が咲き誇っている。いい香りである。桜は花を目で楽しむが、梅は鼻でも楽しめるのである。さて、今年はどういう年になるのだろうか。





(平成13年2月25日著)
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