This is my essay.








 いまから十数年前の、まだ子供たちが中学生になったばかりの頃のこと、車に乗って信州方面へ遊びに出かけた。東京の練馬から関越自動車道に乗り、高崎で降りて一般道を通って横川から長野方面に向かうというコースである。その頃はまだ関越から長野に向かう高速道路はなかった。つづら道が連続する碓氷峠を登り切ったあと、途中で一服するために軽井沢に立ち寄り、しばし木立の中を散歩したりした。その時、中軽井沢から少し北に入った林の中に、小さな教会を見かけたのである。みずみずしい緑に囲まれて、素朴なとんがり屋根の礼拝堂が鎮座している。その前には、赤い座席の馬車もあるではないか。

 その時、ここはその当時流行していた軽井沢婚の舞台ではないかということに気が付いた。ちょっと洒落た高級リゾート地で、記念に残るこぢんまりとした式を上げたいというカップルには、打ってつけの場所だったように思う。この素朴な礼拝堂で式を挙げ、それからこの馬車で構内を巡るという段取りである。確か、お値段も20万円もするかしないかというもので、その頃の東京での挙式には150〜200万円近い金額を用意しなければならなかったことを思うと、破格の値段である。したがって、軽井沢という高級かつ清浄なムードの中で挙式したいというカップルだけでなく、こういっては失礼かもしれないが、やや経済的に余裕のない方とか、2回目で大げさな式は望まないという人たちにも人気があったと記憶している。いずれにせよ、「良いことをやっている、さすがに教会だな」と思ったものである。

 この「軽井沢高原教会」のホームページを見てみた。それによると、ここは「大正時代に北原白秋、島崎藤村ら多彩な文化人が集い、自由と芸術を語り合った頃の面影を今に伝える軽井沢を代表する教会です。『開かれた教会』として始まった軽井沢高原教会の精神は、結婚されるおふたりを祝福するために、今も息づいています。軽井沢高原教会は、どなたにも開かれた教会です。大切な人々の祝福に包まれて、あるいはふたりだけで心静かに.....その日を胸に刻んでください。1974年には軽井沢で初めて信者以外の挙式を受け入れるようになりました。牧師館は、かつてこの教会で挙式をなさった方や、この地を訪れた方が、ふっとお立ち寄りになり、おしゃべりを楽しむ場に。そして、礼拝やコンサートは、人々が集い思い出をつくる場になっています。」、なるほど、まさにこういう感じだったのである。

 その当時、われわれ一家も、「この辺、いいムードね。」ということになり、その赤い馬車の前で一枚の写真をパチリと撮った。そしてこの写真は、元気な家内と、中学生になりたての二人の子供についての、まさに記念に残るものとなったというわけである。さて、それから十数年前の長い月日が経ち、われわれ夫婦と、早くも三十路がさほど遠くないという年齢になった娘と三人で再び、車で軽井沢を通りかかった。時間もあるので、あの素朴な教会をもう一度、見に行こうというこ十数年前の軽井沢高原教会前とになり、中軽井沢に向かった。その小道を入っていったのだが、途中、あまり聞いたことのない名前のホテルへの道順を示す看板はたくさん見かけたものの、その教会への道はさっぱりわからなかった。しかし、地図にはその教会がちゃんと出ているし、そもそも信仰の対象である教会だから、そんな簡単になくなりはしないはずだと思い、適当な道に入ってみたところ、そのホテルに出てしまった。

 そこで駐車の整理をしているお兄さんに聞くと、「あの中だから」とそのホテルの構内らしきところを指さし、「こちらに駐車をしていけ」という。はてさて、ここだったのかなと思いつつ、その方向に向かうと、三角形を伏せたような教会があった。日曜日なので、賛美歌の合唱が聞こえてくる。昔の記憶をたぐり寄せてみても、こういう形の教会ではなかった。そもそも、建物からしてまだ比較的新しい。建て直したのかなと思いながら、その礼拝堂をひと回りしたところ、その陰に隠れるようにして、見覚えのあるとんがり屋根の礼拝堂がある。もはや、その前には馬車はないが、やはり、ここであった。われわれ三人がその前で、感慨にひたりながら建物を見上げていると、教会の関係者らしき女性が通りかかった。そこで、以前この礼拝堂前に、馬車がなかったですかと聞くと、「確かに置いてあったし、それに乗せて新婚カップルを構内一周させるということもやっていたが、もうかなり前に止めてしまった」という。

 再び、この「軽井沢高原教会」のホームページを引用すると、こういうことである。「風が秋の香りを含み始めた9月の初め、牧師館に集う人々の中に、見覚えのあるお顔を見つけました。『Tさんではありませんか?』お声をかけてみると、『覚えていてくださったんですか。また家族みんなでうかがいました』 懐かしい笑顔でこたえてくださいました。Tさんご一家は、ご両親と娘さん2人の4人家族。Tさんご夫妻は、1984年、軽井沢高原教会で挙式なさいました。当時、若く金銭的余裕のなかったお二人は、ふたりだけで挙式できる教会を探して軽井沢高原教会とめぐりあったそうです。挙式は10月末でした。Tさんは懐かしそうに結婚式の思い出を話してくださいました。『圧倒されるほどの紅葉で、妻としみじみ、こんな美しい場所で静かに結婚式ができて良かったねと話したのを思い出します。ライスシャワーの時、牧師先生が通りかかりの方に声をかけてくださって、見知らぬ方にまで祝福していただいたのがうれしかったですね。20年経って周辺は変わりましたが、軽井沢高原教会だけは変わりません』 Tさんご家族は、挙式後20年間、奥様が妊娠中だった2年間をのぞき、毎年、教会を訪ねてくださいました。『長女が受験を控えていますが、ここにはどんなことがあっても毎年、足を運ばなくてはいけないと家族で決めているんです。年に一度のご褒美ですから。家族がまた一年頑張るための支えになっているんです』 2人の娘さんも今では高校生。もうしばらくしたら、結婚のご報告があるかもしれません。『父親の気持ちとしてはまだまだ先になってほしいですけれど、この教会で親子二代、結婚式ができればうれしいですね』とTさん。ご家族の心の財産となっているこの教会を、これからもずっと守り続けていかなければならないと、改めて実感したできごとでした。」

 良い話である。もともと、こういう感じの素朴な教会なのである。ところが今回、この教会の周りを見渡してみて、いささか違和感というか、とまどいを感じたのである。ふと気が付いてみると、この礼拝堂の周りに、大きなホテルが出来ている。十数年前には、おそらく林だったところである。その名は、ホテル・ブレストンコートといい、入ってみると、どうやら結婚式に相当、力を入れているらしい。たまたま日曜日だったせいか、結婚式に出席する老若男女の皆さんたちで、ごった返していた。

 バック・トゥー・ザ・フューチャーというハリウッド映画があった。マイケル扮する主人公の青年が、ドクという科学者の発明したタイムマシンに乗って過去や未来に行くというSF映画である。同じ町を舞台にしているので、時計塔のある町の中心の広場が、過去、現在、未来と一変する姿にびっくりしたものである。今回の軽井沢高原教会もまさにそのようで、十数年前には林の中の素朴な礼拝堂であった教会が、今やブライダル・ビジネスの最前線に放りこまれて、別に礼拝堂を建てたばかりでなく、そのブライダル・ホテルの一部門になってしまったごとくである。やや言い過ぎかもしれないので、間違っていたら申し訳ないが、いずれにせよ、そのあまりの変わりように、一家そろって驚いてしまったというわけである。

 ちなみに、このホテルを運営している星野リゾートのホームページによると、こういうことらしい。

 1914年   星野温泉旅館開業
 1965年   軽井沢高原教会の改築(ブライダル事業に進出)
 1995年   株式会社星野リゾートに社名変更
 1995年   ホテル・ブレストンコート開業
 2001年   リゾナーレ小淵沢の所有・運営スタート
 2003年   アルツ磐梯リゾートの所有・運営スタート
 2004年   アルファトマムリゾートの運営スタート
 2005年4月 ゴールドマンサックスと温泉旅館の再生へ
 2005年7月 星のや 軽井沢を開業し、温泉旅館道を極める

 「1965年に軽井沢高原教会を改築してブライダル事業に進出」とあるので、どうやら当初から営利を重視していたらしい。そして、1995年のこのホテル・ブレストンコートの開業で、ビジネスが飛躍的に発展し、そして今では、各地で窮地に陥ったリゾートや温泉旅館の再生に向けて、舵をきっている模様である。この企業、これから一体どうなっているのか、あと十数年後にもう一度この教会を訪れて、さらなるバック・トゥー・ザ・フューチャーを味わってみたいものである。

 その頃は、高齢化社会のまっただ中であろうから、ひょっとすると金婚式やダイヤモンド婚式を受注していたりして、このあたりに高齢者夫婦のカップルが闊歩しているかもしれない。いやいや、ホントに、何が起きているか、見るのが楽しみである。長生きをしよぅっと。






(平成17年7月 1日著)
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   (出典: 写真中のゆかたの女性は、「お菊巧芸」様より)




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