悠々人生・邯鄲の夢エッセイ








 紫陽花の明月院( 写 真 )は、こちらから。

 竹林の報国禅寺( 写 真 )は、こちらから。



1.明月院(紫陽花寺)


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 梅雨に入ってもう1週間近くなのに、空梅雨で雨が降らない。そうこうする内に、紫陽花の季節も終わりになるかもしれないと思っていると、近距離のツアーのチラシが目に入った。鎌倉のアジサイ寺と竹の寺だという。前者は明月院だが、後者は報国禅寺とのこと。報国寺は知らなかったから、ちょうど今は梅雨の晴れ間なので、どちらにも行ってみようという気になった。iPadで調べると北鎌倉駅で降りて10分間歩いて明月院に行き、見終わった後にまた駅に戻って鎌倉駅へ行き、着いたら東口から京急バスで浄妙寺バス停で降りて3分間の歩きで報国禅寺に着くという単純なコースだ。

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 時間があれば、帰りに鎌倉駅から長谷に行って長谷寺の紫陽花や高徳院の清掃が終わったばかりの鎌倉大仏を見て来るつもりだ。ただ、これだけ天気がいいと、皆さんも同じことを考えるだろうから、早めに行こうと思っていた。家内は、暑そうだからと不参加。やむなく単身となった。最近はこのパターンが多い。ところが、出発前にあれやこれやとあって、家を出たのがちょうど朝9時で、それでも10時20分前には、北鎌倉駅に着いた。あの狭いプラットホームに、電車を降りた乗客がすし詰め状態で、ゆっくりと前進するだけ。やっと途中の臨時出口から出て混雑から外れ、ひと息ついたものの、人波は円覚寺に入らずに、そのほとんどが私と同じく明月院を目指すようだ。これは、大変なことになった。

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 やがて、線路沿いの道から左手に折れて明月院に向かう途中で、順番待ちの長い列が出来ている。こんなことは、初めてだ。その列の中で待つこと30分、蝸牛の如く少しずつ前進してようやく明月院に入れた。いただいたパンフレットによれば、その前身である明月庵が創建されたのは、永暦元年(1160)で、この地の武将だった山内首藤俊通が平治の乱で戦死し、その供養のため、子の山内首藤経俊によるものという。その後、北条時頼が明月院のある場所の西北に最明寺を建立し、これを前身にその子時宗が福源山禅興仰聖禅寺を再興した。禅興寺は、足利幕府下で関東十刹の一位となるなど隆盛を誇ったが、明治元年に廃寺となり、明月院だけを残して今に至っているという。

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 それはともかく、拝観客の数が肝心の紫陽花の数よりも多いくらいで、こんなのは、見たことがない。明月院に入って左手に少しお花畑があるのでそちらを見て来ようとしたら、まるでメイン・ストリームから押し出されるようになってしまい、元に戻るのが大変だったが、何とかお茶屋の月笑軒前で合流できた。それでも、周囲の紫陽花にカメラを向けて、いくらかは綺麗な写真を撮ることができた。でも、うっかりあちこちにカメラを向けると、画面に人が入ってしまうから自粛した。だから、撮った写真は花が真ん中の日の丸構図のものばかりだ。

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 紫陽花の花は、青、紫、ピンク、白と、色合いが実に美しい。同じ株から青、紫、ピンクの花が出ているものがあって、一体どうなっているのかと思う。確か、色素のアントシアニンの働きで色合いが変わり。アルミニウムが吸収されると青色が、吸収されないとピンク色になる。酸性土壌だとアルミニウムが溶けるので青色になり、中性とアルカリ性土壌であればアルミニウムが溶けないからピンク色になると聞いたことがある。調べてみると、土壌の化学的な性質にかかわらず両方の色合いが出る品種もあるそうだ。なるほど。でも、まだ花が咲いたばかりで、花の中は薄い黄色で、回りが青やピンク色に発色し始めたのも、初々しくて、美しい。

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 鎌倉石の参道を大勢の人たちとともにゆっくりと登っていき、枯山水庭園に着く。須弥山をかたどり仏教観を現すそうな。庭の石の脇に小さな蟹がひっくり返っていた。なんだろう?その向かいの本堂の方丈の建物の方には、例の有名な丸窓の間がある。それを見ようと思ったら、ここも長い列だ。それに並んで、やっと写真を撮ることができた。いやはや、もうたまらないと思って、人がいないところはないかと探して、本堂後庭園に入った。意外なことに、花菖蒲が咲いていた。「意外」というのは、私の先入観のせいだ。つまり、アヤメだと5月中旬、カキツバタだと5月初旬に咲くはずだと思っていたので、てっきりそれらだと考えたからだ。でも、「花菖蒲」と書いてあったので、納得した。花菖蒲の咲く季節は、6月の梅雨のときだ。それにしても、花菖蒲は綺麗な花だ。接写すると、ますますそのように思う。あれあれ、蜻蛉が花の蕾にとまっている。驚かさないように近づいて、焦点を合わせて・・・パチリとシャッターを押し、何とか写せた。

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2.報国禅寺(竹林の寺)

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 拝観券の裏に書かれていた由来記によると、報国寺は建武元年(1334)創建の臨済宗建長寺派の禅宗寺院で、開基は足利尊氏の祖父の家時である。休耕庵という塔頭の跡に孟宗竹が生えて、現在の竹の庭になったそうな。お寺に入ったばかりのところにある緑の苔を随所に使った石庭が斬新だし、本堂に続く参道の途中にあるお地蔵様もしっとりした情感を醸し出している。

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 竹の庭に入ったところ、地面は竹の枯葉で覆われ、そこに30センチほどの等間隔で直径10センチくらいの孟宗竹が数多く生えている。その上は竹の緑で美しく、壮観だ。それをしばらく眺めていると、心が研ぎ澄まされていくような気持ちが生まれる。これは、なかなかのお寺である。参拝客の数が段違いに少ないというせいもあると思うが、明月院でざわついた心が、次第に落ち着いてきた感じがした。しばらく境内を眺めさせていただき、ゆっくりできたので、早めに帰ることにした。

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 鎌倉駅で東京行きの電車に乗ろうとして、グリーン券を買おうとしたが、湘南新宿ライン、成田空港行き、横須賀線、東海道線、常磐線、千葉行きなどが入り乱れていて、何が何だか即座には分からない。駅員の方に教えてもらって買う有様だ。これというのも、上野を飛ばして直通運転の車両ができたりと、最近のJRの路線がますます複雑になったからだ。次回は、事前に良く調べていくことにしよう。

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(平成28年6月12日著)
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