邯鄲の夢エッセイ




自称「ドッジボールの達人」




1.学校の選択

 初孫くんは、今年の春に小学校の学齢に達して、地元の小学校か、それとも幼稚園から通い慣れているインターナショナル・スクールかの選択を迫られた。そして地元の校長先生のみならず、教育委員会の人まで出てきて一悶着あったものの、結局、本人の希望もあって、親は引き続きインターナショナル・スクールに通わせることにした。

 その一方、インターナショナル・スクールと日本の小学校とでは学期がずれるので、前者がないときには後者に通わせようということになったそうだ。そこで、インターナショナル・スクールが6月下旬に終わったので、夏休み前の約1ヶ月間、日本の小学校にランドセルを担いで通ったのである。

 最初は、インターにはない給食の時間などに戸惑ったようだが、おおむね大過なく過ごし、心配してくださった校長先生や担任の先生をいたく喜ばせた。「友達とも仲良くすごせました。学力も十分にあります。」と認定されて、1ヶ月の通学が終わったときに、年度末の先日付の1学年修了証(?)をもらってきたほどである。


2.4桁の4つの数字の計算

 約1年ほど前から、学習塾の公文に通い始めた。算数と国語である。この二つは、日本の小学校に通っていないと、ついつい疎かになりがちな科目である。公文は、所定のペーパーを何枚かやるだけだから、家でも出来て、あまり子供の負担にはならない。それにしても進度が早い。これを始めたつい1〜2年前には、やっと数字が書けるようになったと喜んでいたのに、最近は九九を口ずさんでいるから驚いてしまう。

 思い出してみると、私が九九を初めて学んだのは、小学校3年生のときだから、2年も早くなっている。国語などは確か、「小学校1年になるときには、自分の名前くらいは平仮名で書けるようになっていなさい。」というものだったし、算数なんて、絵を見て「アヒルは何羽いますか?」と言って、2+3=5などとやるのがせいぜいだった。

 1週間ほど前に初孫くんと2人で中華料理店に入った。パクパクとよく食べてくれて、さあこれからお勘定という段になった。私より一瞬早くお勘定書きを手にした初孫くんは、980円、500円、160円と書いてあるそれを一瞥して、「うーんと、1,640円だね。」と一言。3つのお料理の合計額を一瞬にして計算したのである。レジで会計してもらうと、まさにその額だった。980円だの、160円だのと、さほど簡単でもないのだが、もうこんな計算が暗算で出来るのだと感心した。

 さらに、その1週間後に家内とともに初孫くん連れて、またそのお店に行った。今度は家内も一緒だったので、品数は4つになっている。今度は計算が出来ないだろうと思って見ていると、「うーんと、うーんと、3,450円だね。」という。それもまた当たっていた。かくして、4つの数字の暗算が出来るようになっているとは思わなかった。

 とまあ、そのように感心していたら、今度は別のお店で食事をし、3つのお皿の合計を出すときに、間違えてしまった。あらら・・・やっぱり普通の小学1年生である。どうやら、ぬか喜びだったようだ。でも、早熟の天才でも20歳過ぎてタダの人になるより、私は遅咲きの努力家になる方がよいと考えている。もっとも、努力するタイプかどうかをみるには、少し早いようだ。まあ今のところは、勉強でも遊びでも、ともあれ楽しくやってもらうのが一番だ。



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3.ドッジボールの達人

 初孫くんは、スクールバスに乗って午後4時半頃に帰って来る。それから夕食まで少し時間があるので、小学校の学童保育の部屋に入れてもらっている。そこで何をやるかというと、ドッジボールである。最近のドッジボールは、とても凄い。使われるボールは、もちろん柔らかいが、重さもあるから、当たるとズンッと衝撃を感ずる。ましてやそれが顔に当たるとかなり痛い。初孫くんは、顔に何度も当てられ、鼻血を何回も出しながら、食らいついていった。

 このボールは、かなりの速さで飛び交う。ボールを下手で投げると、グーンとカーブして、バナナのようになって飛んでくるから、避けるのがそれだけ難しくなる。そういうボールもマスターして、初孫くんは、自称「ドッジボールの達人」だそうだ。確かに、同学年では敵う者がいなくなり、専ら高学年の組に入れて貰って、「今日は5年生に当てた!」などと言っている。幼稚園の頃から比べれば、ずいぶん逞しくなったものだ。


4.僕って天才

 日曜日は、私が初孫くんの面倒をみる日なので、天気が良い日には、遠くへ連れ出すことにしている。先日は、昭和記念公園に出かけた。西立川駅で降り、走って入った。すぐに池に行き、スワンボートに乗った。ところが、あのペダルを漕ぐには、私の脚が長過ぎるし、しかも、ジーンズをはいているから回しにくい。初孫くんはというと、逆にペダルが離れすぎていて、これまた漕ぎにくい。

 困ったと思っていると、ペダルがぐんぐん回り始めた。見ると初孫くんが、両手を突っ張って身体を浮かし、それでペダルを漕いでいるではないか。へぇ、なかなかやるものだと思った。でも、ボートの周りにやってきた大きな鯉たちに気を取られて、すぐに止めてしまうのは、まだまだ子供である。持っていたお菓子を鯉にあげて、皆よく食べると喜んでいた。

 ボートが終わり、そこから更に奥に位置する子供の森に行き、滑り台、ふわふわドーム、ネットのジャングルジムなどでさんざん遊んだ。少し早いがさあ帰ろうということで、売店の前を通りかかった。すると、直径15センチくらいのゴムのボールがある。それを見つけて、「ねぇ、これを買って?お願いします。」という。見ると600円くらいのものなので、まあ良いかと思ってお金を渡して買い求めさせた。

 すると、帰る途中に大きな芝生の土地があり、そこでサッカーをやろうという。「ああ、良いよ」と答えて、買ったばかりのボールを網から出そうとした。ところが、上手くいかない。仕方なく、網に入ったままボールをぶら下げて歩いて行こうとした。そうしたところ、突然、ボールがポーンと3メートルほど飛び上がり、そのついでに、網から外れた。背後から初孫くんが、いきなり蹴ったのである。そして一言。「僕って天才!」。確かに、網から外す手間は省けた。もう、笑いが止まらなかったのは、言うまでもない。

 それからそのボールを使って、20メートルほど離れて、蹴りあった。手で投げるほどには、初孫くんの蹴りは強くなかったものの、それでもまあまあサッカーになっている。去年までのことを思えば、かなりの進歩である。腕にも少し筋肉が付いたし、それにつれて、失敗を恐がらなくなった。この1年で、随分と進歩したものだと思う。


5.黒と赤の絵から色彩溢れる絵に

 この子は、振り返ると3歳の頃から、絵を描くとなると、どういうわけか火山が噴火する絵ばかりを描いていた。山体が黒色、噴火が赤の2色の凄まじい絵である。これは、保育園のほかに、年端も行かずに通わされていたスパルタ式の英語学校での不満が爆発しているのではないかと思ったほどである。ところが、我が家に来てから3年弱ほどになるが、その英語学校とやらに通わなくなったからか、随分と平和な雰囲気になり、描く絵の題材も変わってきた。

 例えば先日、インフルエンザの予防接種を受けたクリニックで、ご褒美にシールをもらった。それをどうするのかなと見ていたら、自動車のシールばかりを取り出して、白い紙の一番下に、一列に並べ始めた。そしてその上に、マンションのような建物をたくさん描いた。そして、そのうちの一つに「ぼくの家」と書いた。もっと驚いたのは、これまでの赤と黒ではなく、初めて青色を取り出して、それで画面の多くを塗っていたことである。これを見て、家内と二人で、大いに安心したのである。

 また、次の絵は、親子でディズニー・シーに行ってきて、帰ってから描いた絵である。中央の模擬火山の脇に上がった花火と、その周囲の湖で海賊船を模したパレードが行われている描写である。いかにも楽しかった雰囲気が伝わってくる絵だ。


ぼくの絵




 さらに次は、学校で作ってきた「ピカソ」もどきの作品である。「これは何を描いたの?」と聞いた。すると、「アイスクリームと、ソフトクリームと、ケーキ」だそうだ。いずれにせよ、「おお。色のついた絵になっている」と感激した。

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 その後、親と軽井沢で雪遊びをした帰りに、たまたま花火を見た。そして、その様子を帰りの新幹線の中で白い画用紙にクレヨンで絵に描いた。すると、今までだったら、黒と赤のクレヨンしか使わずに、しかも四方八方に爆発するような絵しか描かなかった。それなのに、嬉しいことに、今度はあちこちにお花のような模様を描いて、しかもそれがあらゆる色彩で満たされるようになった。家内は「心象風景が豊かになりましたね。」と、感慨無量だった。


6.ゴルフの真似

 先日、秋も深まったし、実家の母はどうしているのかと思って、初孫くんを連れて帰省した。すると、近くに住む妹たちに支えられながら、まあ元気に暮らしていた。初孫くんは、そのおばあちゃんを家の前の公園に連れ出して、何やら遊びだした。公園の端から、ゴムボールを使って、二人でゴルフのようなスイングで打っている。狙いは公園の反対側の砂場だ。砂場の半分は、ちょうど西洋のお城の城壁の上のような凹凸のある段差で囲まれていて、そのところどころに穴が開けられているから、ちょうど良いショートホールになっている。それを越えた砂場の真ん中に穿たれた穴が目標だ。


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 最初、初孫くんは空振りが続いたものの、30分もすれば安定してきた。ポーンと打つと、時にはボールが空中を舞って、公園を横切るように飛び、砂場の脇に置かれた椅子に直接乗ってしまうこともあった。そして、それを入れて、辺りじゅうに響き渡る大声で、「イェーイ!これはイーグル、いやアルバトロスだ!」と大喜びで叫ぶ。近所の人が、何事かと思って出て来て、その様子を見て笑っている。母は「ひ孫なんです。」と、ニコニコして説明している。

 そのうち、何か変だなと気づく。確か、母はゴルフなどしないし、ゲートボールもしない。すると、初孫くんと母が持っているあのゴルフ用のクラブは何だろう。そう思ってよく見たら、何とそれは、母が日常愛用している老人用の杖ではないか・・・。あれあれ、これは困ったと思って、それを手にとって見たら・・・ああっ! 一番肝心の手のひらで包み込む取手のところが、ボロボロに傷ついている。やってしまった!

 母に謝ると、「いいよ。いいよ。」と言ってくれる。その大人のやり取りも何のその。初孫くんは、そのクラブならぬ杖を再び手に取ると、「さあ、今度もアルバトロスだ!」と言って、勢いよく公園の反対側に掛けていく。それを、母と二人して、いささか複雑な笑いをして見送った。いずれにせよ、この年回りだと、元気で天真爛漫なのが、一番である。


7.学校での出来事

 ある日、学校の先生からこんなメールが送られてきた。「今日、Aくん(初孫くん)が、Kくんの胸のあたりを強く噛んで、怪我をさせてしまいました。すぐにKくんの胸を確認したところ、赤紫色に内出血していて、ちょっと歯の後が見えました。担当の先生が二人と話をしたところ、初孫くんが先に座っていた場所にKくんも座りたくてぐいぐいと押したから、かっとなって噛んでしまったということでした。二人とも悪かった点を認め、納得した様子でした。ご家庭でも、かっとなった時に噛むことで気持ちを伝えるのではなく、言葉で気持ちを表現することをもう一度話し合ってください。どうぞよろしくお願いいたします。」

 元気が良すぎるのも、ほどがあると思ったものの、学校からも親からも、こっぴどく怒られるだろうから、我々が叱ると初孫くんの居場所がなくなるだろうと思い、学校から帰ってきた初孫くんから、事情を聞くだけにした。すると「僕が座っていたところに、Kくんがやって来て、しつこく足で蹴ったり、肩を何回も小突いたりしてきて止めないから、つい噛んじゃった。」というものだった。

 それから程なくして、親が学校に呼び出されて、親子ともども大変叱られたそうな。相手の子にも非がありそうだが、何しろ、傷付けてしまったことはよくないので、その親御さんにも、誠に申し訳ない気がする。だから、「これからはいきなり噛むというのでなく、ちゃんと言葉で『止めて頂戴』と言えるようにね。」と諭すと、眼に涙を浮かべていたそうな。幸い、大した怪我でもなく、学校で二人の様子を聞くと、仲直りをして全く普通どおりに過ごしているそうで、良かった。

 とまあ、ここまでは普通のおじいさんとしての感想だけれど、世の中、そう善意の人間ばかりではない。私が小さかったこのぐらいの年頃には、都会から急に田舎に引っ越ししたものだから、言葉が標準語だというだけで虐められて、結構、暴力も受けた。多勢に無勢だから、どうせ敵わないのだけれども、私が我慢に我慢を重ねた末に、この初孫くんのように、一度くらい相手に歯型がつくくらいに噛み付いていたとしたら、一体どうなっていたのだろうかと思ってしまう。こいつは危ないヤツかもしれないということで、あるいは、虐めは止んでいたかもしれない。そういう意味で、実はこの初孫くんの行為を、あながち責める気が起こらないのである。


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ハローウィンでの三銃士の仮装

8.優しい初孫くん

 普段の初孫くんは、なかなか優しいところがある。先日、気候が乾燥してきたからか、力がかかったときに私の爪に割れ目が生じた。すると初孫くんはそれを見て、「ちょっと待って」と言って、どこからかバンドエイドを持って来て、紙をはがして甲斐甲斐しく手当てをしてくれた。なるほど、こんな面もあるのかと、見直した。

 だから、学校では乱暴者ではなく、優しいということで、女の子にも人気があるようだ。それは、時々ランドセルの中にラブレターが入っているのでも分かる。例えば、次のような調子だ。まあ、ませていると言えばその通りだが、この調子でどこまでモテるかが問題である。できれば、この子が良き伴侶を得るのを見届けるまで、家内とともに長生きしたいものだ。あと20年ぐらいだから、おそらく大丈夫だろう。


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(平成27年12月 1日著)
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