邯鄲の夢エッセイ



新宿御苑の菊花展






 昨年の夏頃、私は大学卒業後40年余も務めた職場を離れた。それに伴って、規定により所定の額の退職金をいただくことになった。そうして退職をして1ヶ月後くらいに、世間一般の水準からすれば大したことはないのかもしれないが、少なくとも私にとってはこれまで見たこともないお金が預金口座に振り込まれていた。もっとも、これまでの人生で、これと同じくらいの額が振り込まれたことがたった一回だけあった。それは住宅ローンを借りたときである。しかしそれは、銀行から振り込まれたかと思うと、ほんの数秒の瞬きする暇もないうちに、マンション業者の口座に飛んでいってしまった。だから、これだけの額が、自分の口座にそのまま残っているということ自体、初めての経験である。

 ところで退職金というのは、

 (1) 長年勤めてくれてご苦労様、これがそのご褒美ですという意味合いと、
 (2) 将来それなりのまとまったお金をあげるから今はこの安い給料だけど頑張ってねという意味合い、それに
 (3) 退職してしまったら生活に直ちに困るだろうから当面はこれで食いつないでねという意味合いとがあると思う。

 これらの(1)から(3)までのいずれの意味合いをも合わせ持っている退職金がある国は世界でもおそらく日本くらいで、他の国では、(1)を除いてあまり流行らない慣行である。(2)は終身雇用がその背景にあるような気がするし、(3)は自分を売り込む転職(ジョブ・ホッピング)がごく一般的な国ではそもそも意味がない。その点、私は、日本的雇用慣行がまだ健在なうちに、この退職金を受け取ることができた。ともあれ、40有余年の長きにわたる自らの血と汗の結晶であるかと思うと、単なるお金だが、とても愛おしくなる。

 それどころか、この持ち慣れない大金を前にして、不覚にも目頭が熱くなった。それはそうだろう、何しろ本当に安月給だった時代が、それはそれは長く続いたのだから・・・。とりわけ若いときにはひどかった。いうまでもなく、東京は地方と比べて生活費がとても高い。実感では、表面的な物価指数の倍以上の差異がある。だから結婚したての頃には民間アパートの家賃を払うのにも汲々している有り様で、家内が妊娠して社宅に入れてもらい、それでようやく一息ついたほどだった。入居したのは築30年を過ぎたボロボロのアパートだったけれども、これでやっと人並みの生活が出来ると嬉しかったことを覚えている。しかし、連日明け方まで働く激務にもかかわらず、超過勤務手当などは全く出なくて、ほとんど基本給のままであった。今の言葉で言えば、ブラック企業そのものである。だから当然、生活は苦しい。そのような中、他に趣味もない私は、文章を書くのが苦にならない上、アカデミックなことが好きな質だから、土日に暇を見つけては記事を書いては専門誌に載せてもらうのが唯一の楽しみだった。しかしこれは、酒や煙草や付き合いに無用なお金を使わないという消極的な意味だけでなく、意外と生活の役に立つ臨時収入にも繋がったから、何とかやりくりをつけてきた。まあこれも、見方によれば涙ぐましい努力だったとも言えなくもない。しかしそれは別に生活のためというよりは、もっと専門分野を極めたいというアカデミックな考えがまずあってのことである。そのため手間暇を厭わず一生懸命に勉強し、その成果を元に数多く執筆した。そして、私の書いた専門書や専門誌の記事が出来上がったときには、それはそれは嬉しかったものである。すると、ふと気が付いてみると、原稿料や印税までいただいていたというわけだ。つまりは趣味が主で、たまたま実益を兼ねていたようなものである。だから、何十年も長続きしたのだろうと思っている。ただまあ、最初は趣味として始めたこうした専門知識の集積が、後年になって何冊かの法律書の執筆となって開花し、さらにこれが大学院での講義となって実を結び、更には現在の法律関係の職に繋がったのだから、人生とはわからないものである。

 それはともかく、若い頃から中年に至るまで安月給だったため、倹約に次ぐ倹約で、家内や子供たちには本当に迷惑をかけた。たとえば、子供が小学校時代の数年間にわたって写した我が家の写真を見ると、そのやり繰りの跡がよくわかる。ある年に家内が着ていた服が翌年には上の娘が着ていて、更に翌々年には下の息子が着るといった具合である。それぞれにちゃんとした服を買ってあげるお金もなかったというわけだ。また、中学校以降の教育費も大変な負担だった。医者になった上の娘は小学校から大学まですべて国公立に通ってくれたから助かったが、さすがに下の息子の場合はそうもいかずに私立の中高一貫校に入れた。せっかく東京にいるのだから、東京大学に入って貰いたいと思ったからである。入学前の中学入試対策にお金が掛かるところだったけれど、情けないことに塾に行かせるお金がないので、夫婦で代わる代わる自前で教えた。だから掛かったのはテキスト代と模試の代金くらいで済んだ。ところがそうやって何とか御三家の一角にいざ入学してみると、その学校は都内一高い授業料だったので、授業料を支払うだけでボーナスが全て消えていった。新学期が始まる前に、先生が生徒に「授業料の分割納付を希望する人は手を挙げて」と聞くので、息子が手を挙げたら、自分のほか誰も手を挙げなかったそうだ。恥ずかし思いをさせてしまったが、その代わりちゃんと大学に現役入学を果たして法科大学院に通い司法試験まで突破して法曹になってくれたから、親としては苦労の甲斐があったというものだ。

 子供たちが中学校から高校にかけての頃のことを振り返ってみると、「極貧」とまでは言わないものの、少なくとも「貧」の状態だったのは間違いない。しかしその中でも、まず何よりも子供たちの体格を良くしようという「こだわり」があり、現に持てるお金の6割近くを食料費に当てていた。だから、これと教育費を合わせると、この二つで可分所得のほとんどを使っていたと思う。これも、我が家にお金がなかったひとつの原因である。妙な子育て方針かもしれないが、私は自分の人生経験からして、体格の良さと体力の強さは、その人の人生の幸福に直結すると信じている。そしてこの二つに最も影響を与える要因が、栄養満点の食事、運動の量の多さと質の高さ、それにストレスの低さであると考えていたから、とりわけ食事内容には気を配った。娘が高校生だったあるとき、家庭科でそれぞれの家庭の食事についてそのカロリーを計算する宿題が出た。娘が計算して3,300カロリーと出たのでそれを持っていくと、先生は1,800カロリーになるはずだと言って、娘の計算は間違っていると断言したそうだ。いやいや、私が検算してみたところ、娘の計算は正しかった。つまり、何かをやり遂げようとするときに世間並みのことをやっていては、駄目なのである。

 やがて子供たちは大学に進学した。その頃、私は部長クラスに昇格したので、可処分所得はかなり増えた。それは良いのだが、高等教育に対する出費も相当のものとなった。第一は、娘の学費である。国立大学の医学部だから授業料はわずかであったが、大学の近辺に下宿させたので、その生活費の出費がかなりのものとなった。加えてそろそろ住宅を持つべきか気になる年齢となってきた。というのは、住宅ローンは、最大70歳までのローンしか組めないので、40歳を越すと30年間のローンを丸々借りられなくなるのである。家内にまず相談し、郊外の広い一軒家か都心の狭いマンションかを選んでもらった。すると、交通が便利な都内のマンションでなければ子供たちが寄り付かないといわれ、それもそうだなと思って都心にあるマンションを買った。とっても高価だったにもかかわらず狭い狭い部屋になってしまったが、それが分相応だからやむを得ない。その返済が娘の学費と生活費くらいあって、この二つで収入のかなりの部分が持って行かれた。そのうち、娘が医者になってくれて学費が必要がなくなると、今度は息子のアメリカ留学と法科大学院進学の時期に当たった。いずれも目出度いことではあるが、親として費用を用意してあげるのは、なかなかしんどいことだった。この時期の我が家の貯金は、ほんの僅かになってしまい、自分たちのために貯めるなど、夢のまた夢だった。それなのに、まあ、どうだろう。かつて苦労しただけのことはあって、現在、目の前の通帳には、ゼロが幾つもあるお金が印字されている。この持ち慣れない大金を前にして、いったいどうしようと、我ながら戸惑うのも無理はない。

 このまま、銀行の定期預金に入れて塩漬けするのが最も安全だが、定期預金金利を見て驚いた。0.04%とは・・・税引き後ではさらに下がって0.032%だ。そんなものに過ぎないのなら、何かに投資した方がマシというものだ。しかし、そもそも私は、長い間お金がなかった人間だから、急に投資しようと思いついても、知識も心の準備もない。物の本によると、こういう場合は、(1) 安全な定期預金、(2) 少し利率が高い国債や社債などの債権、(3) 価格が下がる危険がある国内株式の3分野に、それぞれ3分の1ずつ投資するというのが定石らしいが、それでは全然、面白くない。そこで2週間程かけて幾つかのインターネットのサイトを調べて、素人なりにこれから1年間の相場観を作り上げた。まず第1は、アメリカ経済が順調に拡大してきており、これからも続きそうだから、投資信託で外国株、外国債権、内外のREIT(不動産投資信託)を買おう。第2は、円レートが一時の1ドル70円代から、原子力発電の全面停止の影響で貿易赤字が定着し、輸出の回復も鈍いからどんどん円安に振れていて、この傾向は止まらないだろう。だから、ドルを買うべきだ。第3は、アベノミクスの効果がそろそろ薄れては来ているもののまだしばらく続くであろうということで、国内株を買うべきだと思った。ただし、短期間の細かい売買を繰り返すのは性に合わないし、まだちゃんと働いているからそんな暇もないので、なるべく長期に保有できるものにしよう。しかし、国内株の投資信託などは手数料を取られるだけ無駄なので、それくらいなら自ら個別銘柄を買い付けよう・・・というわけで、次のような分野に投資しようと考えた。

 (1) 投資信託・米国優良株
 (2) 投資信託・米国REIT
 (3) 投資信託・米国ハイ・イールド債
 (4) 投資信託・日本REIT
 (5) 日本の株・自動車、薬、電機、小売、先端技術
 (6) 米国ドル

 それぞれに配分するウェイトは、投資信託で半分、残る半分を株とドルにし、その中でも株のウェイトを大きくして2対1にするというものだ。この方針で、銀行に出向いて投資信託を購入した。だいたいの方針を伝えてあったので、用意してもらったパンフレットをさっと見て、これとそれとこれとこれなどと次々に決めていったら、担当の行員さんが呆れたように「随分と簡単にお決めになりますね」などと余計なことを言う。まあ、失敗しても自己責任だから放っておいてくれと言いたいところである。それは簡単に片付いたけれど、株はその注文方式に面喰らった。インターネット証券の口座を予め作って少しは予行練習をやっていたものの、日中の値動きにかなりの変動がある。こんなものを常時見て売買のタイミングを決めるのは、文字通り目が回ってしまうと思った。だから、もちろん全て成行買いにして、各分野の代表的な銘柄を購入した。ドル買いは、これも相場の乱高下が相当なものだったが、円が少し高くなったタイミングでスポンと購入した。インターネット銀行での購入は非常に楽だった。

 こうして購入した3種類の資産のうち、どうなっているのか最も分かりやすいのが円ドル間の為替レートである。私の使っている銀行の場合、片道の売買手数料は0.09円とわずかである。だからこれを考慮して、基本的にはそのときのレートから自分が買ったときのレートを差し引くと、それが儲けあるいは損失となる。ドルを買ったときは、ちょうど1ドル105円台で膠着しているときだったから、それからやっと円が少し高くなりかけたタイミングの103.5円で買うことができた。だから、自分では上出来と考えていた。すると、みるみるうちに円が高くなり、101円台になってそれがしばらく定着するようになった。およそ2円分、損をしたことになる。どうも私は、一定の膠着状態から事態が動き出すと、それを察知する能力があるからすぐに手を出すが、我慢してしばらくその状態を観察する心の余裕がないものだから、その事態がもう少し進んでしまうまで待てずに大きなチャンスを取り逃がすという傾向があるようだ。今後、自戒する材料としよう。いずれにせよ、こんなことで毎日、一喜一憂するというのは無駄なので、なるべく忘れようとしたが、それでも毎日のニュースで必ず言及されるから、ついつい思い出してしまう。だから、良いような悪いようなというのがドル資産を持つことである。ちなみに私の場合、全投資額の半分くらいが円ドル間の為替レートの直接的な影響を受けるから、それだけ真剣に見なければいけないのだけど、相場がよほど私の想定と違わない限り面倒なので、意識的に忘れようとしていた。だからこの間、一度も売買していない。

 さて、それから1年が経ち、どれも全く動かしていなかった。いちいち市場をチェックして一喜一憂するなどというのは、そもそも性に合わないし、見ない方が精神衛生上良いと考えたからである。私のこれまでの人生を振り返ると、外国へ行ったときにカジノに行き、そこで僅かなお金の賭け事をしたことがあるが、どれも大勝ちすることはなかったものの、さりとて損もせずに、結果は多少のプラスということが多かった。だから、今回も賭け事の一種だから結果はそんなものだろうなと、高を括っていたこともある。とりわけ購入した株式についてどうなったかをご紹介しておくと、初めて本格的に買ってから半年くらいして、iPhoneで証券会社のサイトを開くと、何と合計で100万円近くも損をしていた。これだから、株は怖いと思いつつ、まあ、相場とはこんなものだ、そのうち反対方向に振れるだろうと楽天的に思っていた。振り返ってみると、どうも私が買ったタイミングは、日経平均株価がかなり高かった時期で、買うには最悪の時だったようだ。単にその当時、お金があったから買うというのではいけない。相場の流れを読むべきだと反省した。とまあ、そういうことで、つい最近になり、もう株式を購入して1年以上にもなるし、相場の乱高下が激し過ぎるから、この辺でプラスのときに利益を確定させておこうと思って、持っている株式を全部売った。利益は、わずか40万円ほどのものだった。損はしなかったから、それだけで満足すべきなのかもしれない。

 さて、最大資産の投資信託なのだが、たまたま見た今年の3月には合計350万円ほどの利益が出ていたのだけれど、10月半ばには100万円そこそこの利益となっていた。5銘柄中での勝率は、3勝2敗である。損はしていないが、運用はとても難しいものだと痛感した。しかし、投資信託については為替ヘッジをしていないから、運用成績は、これからの円ドルレートの推移如何による。なお、投資信託はいつでも売買できるというメリットがあるから、換金性が高いと思っていた。しかし、実際に購入してみると、購入当初は手数料など諸々の経費が取られて、約半年ほどは水面下の状態が続く。売ろうという気がするのは水面上に浮かんでからであるから、少なくとも半年間は塩漬けにしなければならない金融商品であることがわかった。

 それは余談であるとして、結果的に私の退職金を投資したこの1年間の運用成績はどうなったかというと、結論的にいえば、総合してみると、利回りにして6%というのが、その運用の結果である。素人にしてはまあまあの出来である。少なくとも、現在の定期預金1年物金利の0.025%よりはるかに良い。ただし、運用成果を確定させたのは株だけで、残りのものは、まだ売り払ってはいない。というのは、投資信託もドルも、為替レートに左右されるので、アメリカが金融緩和政策を転換し、金利を上げるように動くと、円安が進むと考えたからである。いずれにせよ、6%の投資利益というのは、あくまでも現時点での帳簿上のことである。だから、いつ何時かつてのリーマンショックやバブル崩壊時のような悲惨な事態に遭遇して、私のこの40年間の汗と涙の結晶が無に帰す結果となるかもしれない。震災のように一定の確率で必ず起こるものだから、仕方がないので、その時が来ても慌てないような心づもりをしておく必要があるだろう。では、どのような恐慌のシナリオがあり、その可能性は何%であろうか。

 私は、第一に、日本経済の先行きが心配でならない。平成26年度末の公債残高は780兆円と、税収の16年分にもなっている。しかし、日本銀行は未曽有の金融緩和を行って、新発国債のかなりの部分、一説にはその8割を買い入れている。これでは、そのうち日本国債に対する国際的信用をなくして金利が高騰し、実体経済に大きな悪影響を与えそうである。その一方で高齢者の数は劇増し、それを支えるべき若者の数は年々減る一方である。先行きは暗い。私はこの可能性が60%はあると思っている。第二は、ヨーロッパの南欧や中欧の国の財政が破たんし、それが世界の金融市場に影響を与えるというもので、可能性は30%だと思う。第三は、リーマンショックからやっと立ち直ったアメリカ経済が再びおかしくなることで、こちらも未曽有の金融緩和の悪影響が自動車ローンの審査の甘さなどに波及して、それを契機に金融恐慌がおこるというシナリオで、可能性は10%だと考えている。しかしこちらは、FRBが金融緩和の出口を探っていて、そのうち生ぬるい金融市場から脱出できると思うので、さほど心配はない。やはり、第一の日本経済が変調から破たんに至るようなときの心の準備をしておく必要があると考えている。



 このように書いたその翌々日、つまり国内株を全て売り払ったその3日後の10月31日、なんとまあ驚いたことに、日本銀行が金融政策決定会合で市場に流し込むお金を増やす追加金融緩和を決め、同時にGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)も公的年金の株式運用比率を倍増して50%に引き上げることなどを決めた。この突然の日本銀行などのサプライズ発表で市場に激震が走り、日経平均株価の31日の終値は755円56銭高の1万6413円76銭に急上昇した。また、このショックは31日のニューヨーク市場にも波及して、ダウ工業株30種平均の終値が前日比195・10ドル高の1万7390・52ドルと約1カ月半ぶりに史上最高値を更新。しかも円相場は1ドルが112円台半ばに下落し、約6年10カ月ぶりの円安水準となった。何のことはない。あのまま株式を売らないであと3日間それを抱えておれば、もっとプラスになったはずなのに、後の祭りであった。まあ、損をしなかっただけ良しとしなければ。これが株式の怖いところでもあり、また醍醐味なのでもあろう。それはともかくとして、今回の措置によって発行される国債の7〜8割を日本銀行が買うことを意味しているが、これはかつて悪性インフレの原因となった戦時国債の日本銀行引受けと大差ないのではないか。いずれにせよ際どいことをしているのは間違いない。また国債の更なる引受けやETFなどの買付けの増額は、これから金融緩和から脱出しようとしているアメリカの動きとは全く逆行している。デフレ脱却のために日本銀行が2%の物価上昇率の目標を掲げていることはわかるが、そんな無理なことまでして、守るべき価値のある指標かどうか疑問である。ますます、第一のシナリオに近づいた気がしてしまうのである。かくして虎の子の退職金を守るというのは、なかなか容易なことではない。むしろ、何もなかった時の方が、よほど気楽である。



 そしてさらにその1週間後に思ったことであるが、仮にまた数年後にアメリカやヨーロッパ発の金融危機が起こったり、日本発の国庫過剰債務を引き金とする金融危機が発生したりするとどうなるか。何しろ3年前に千年に一度という東日本大震災に見舞われたわけだから、一概に非現実的ともいえないだろう。国家としては、現にアルゼンチンが、2001年にデフォルトに陥ったり、その後遺症で今年になって再びデフォルトの危機に直面している。ギリシャも、2010年に経済危機に陥った。直接のきっかけは財政赤字がGDPの4%程度と発表していたのだが、統計の不備で本当は13%近くに膨らんでいたり、そのうえ国庫債務残高も国内総生産の113%にのぼっていたことである。いずれも日本とは国の規模が全然異なるし、国を取り巻く経済事情も違う。それにアルゼンチンであれば、まるで女優さんのようなクリスティーナ・エリザベット・フェルナンデス・デ・キルチネル大統領や男優さんのようなキシロフ経済財務相の写真を見ていると、大丈夫かなという気がしてくるのも事実である。

 この間、両国で何があったのかを思い出してみると、アルゼンチンではハイパーインフレが起こり、そんな中で預金の引き出しが制限されたものだから、たちまち国民の生活が逼迫して、鍋とスプーンを持った庶民の自然発生的なデモが街のあちこちで繰り広げられた。ちなみに富裕層は、元々その資産を海外で外貨で運用していたから、こうした混乱とは無縁だったようだ。ギリシャでは、国の予算が何もかも切り詰められ、年金ですら何分の一かになってお年寄りが生活が出来ないと嘆き、これまた街の其処此処で失業者、年金生活者たちのデモが起こっていた。

 日本も、これら二つの国と比べれば、かなり深刻どころか危機的状況にあると思う。日本の国庫債務残高は2014年で231.9%である。さすがに統計の操作はしていないが、これはもうギリシャの倍の水準である。ただ日本は、これらの借金を外国からの借金で賄っているのではなくて、広い意味での国民の貯金1700兆円の範囲内で賄ってきたから円に対する信頼は維持されてきた。それがどうだろう。今年あたりから借金の額がそれを上回るようになり、また日本銀行が新発国債の7〜8割を引き受けるという文字通りの蛮勇をふるっている。そのせいかどうかわからないが、円ドルレートが1週間で108円代から115円代へと急落した。輸出産業も生産拠点を海外に移してしまったこともあり、産業に円安抵抗力は残っていない。あとに残るのはマネーゲームの世界だけだ。このまま、元の水準に戻ることは、もはやないのではないかとすら思う。

 少し悲観的過ぎるかもしれないが、近く年金生活者となる身としては、それぐらいの覚悟で良いのかもしれない。もっと資産があれば、某女流作家のようにシンガポールあたりの銀行に孫を連れて口座を開いて大金を預金するところだが、私などはとても、とても。それほどの資産があるわけではない。万が一の場合には、ドル資産だけでも残るだろうが、そもそもそんな非常時には日本の年金も危なくなって相当減らされるだろうから、あまり意味もない想定かもしれない。

 まあ、やはり、そのときの時流である経済情勢には抗えないかもしれない。その意味で、私はまるで自分が、河原で風にそよぐか弱い葦のようなものだと感ずる。それなりに考えてはいるのだが、大風が吹いてくると、1本だけだと倒れるかもしれない。ただ幸い、とりあえずは家族で数本分の葦としてまとまることが出来るので、その団結の力で人生の荒波を乗り切るしかないと思うのである。




(平成26年11月1日著、8日追記)
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