悠々人生のエッセイ








 前回、西暦2000年に「ホーキング宇宙を語る」を読んで感激し、それについてのエッセイを書いてから、10年余の歳月が経過した。著者のスティーヴン・ホーキング博士は、長年にわたって難病のALS(筋萎縮性側索硬化症)を患っておられるが、幸いにしてまだ健在でおられる。個人的には離婚という不幸な事情があったようだが、それでもつい最近は無重力を体験したいということで、飛行機に乗って急降下ダイビングに挑戦するなど、まだまだその科学の探求心は旺盛のようであって、誠に喜ばしい。それはともかく、実はこの10年という歳月は、宇宙論が大きく進展し、観測技術の大きな進歩と相俟って、宇宙に関する知識が飛躍的に高まった特別な期間なのである。

 なかでも、世の物理学者と天文学者を仰天させる新発見が、2003年頃にあった。それは、宇宙のエネルギーのなんと96%は、目に見えないものでできているという事実で、我々の体を作っているような普通の原子は、星や銀河を含めてわずか5%もないということである。その見えないものは、暗黒物質(ダーク・マター)が23%及びダーク・エネルギーが73%といわれ、現在、その正体を明らかにするため、日本の東京大学宇宙線研究所付属神岡宇宙素粒子研究施設やスイス・ジュネーブのCERN(欧州原子核研究機構)などで観測と研究が続けられている。

 その一方、超ひも理論に対して、リサ・ランドール教授のようにこれを採らない理論物理学者の間で、宇宙の多次元構造を模索する動きが出始めたものの、あまり一般化するに至らず、尻つぼみとなってしまった。その分、超ひも理論とそれを発展させたM理論のエレガントさがますます際だつようになった。このような宇宙論の激動期に際して、私は、あのホーキング博士は、どうしておられるのだろうか、ひょっとして体調の悪さが影響しているのか、それにしても、博士は超ひも理論やM理論についてどのような見解をお持ちなのかという点が、長らく気になっていた。それが最近、佐藤勝彦教授の手によって翻訳された「ホーキング宇宙と人間を語る」という本(エクスナレッジ)によって、ようやく知ることが出来た。まるで、長い間、探していたものにようやく出会ったような、うれしい気分である。

 この本によると、やはりホーキング博士は、星や銀河の動きを説明するニュートン力学およびアインシュタインの一般相対性理論と、素粒子の世界を説明する量子論との関係という根源的な問題まで突き詰めて考えていた。すなわち現代物理学の課題は、まずニュートン力学と量子力学との折り合いをどうつけるのかという問題である。この点、ニュートン力学はいわゆる決定論で、たとえばある物体の運動エネルギーを計測すれば、その物体の将来の位置を正確に予測できるというものだ。これに対し量子力学では、たとえばある電子の位置は、単に確率をもってしてその位置を予測するしかないという。そして、観測した瞬間にその位置が決まる。

 いわゆる二重スリットの実験を行うと、その二つの力学の差異がよくわかる。ニュートン力学に従えば、ひとつのスリットを通せばその先にある板にはこれに対応する線が描かれるにすぎない。だから二つのスリットを設けると、これが二本の線となる。しかし、量子力学の世界では、スリット電子を何回も打ち込むと、二つのスリットの場合には、その二本の線以外にも、これらのスリットに平行なたくさんの線が描かれる。これは、電子が波として干渉を起こしたのである。そんなことは、ニュートン力学からするとあり得ない結果で、まさに量子力学の予測するところなのだ。これについてホーキング博士は、ファインマンの定式化(経路積分法)で、この折り合いをつけようとする。粒子がAからBまで移動する確率をその経路と位相をすべて足し上げてみると、結局のところ大きな物体はニュートン力学の予言のとおりに運動するという。

 次に、膨張する宇宙の時間軸を逆に戻して宇宙の始まりの時を突き詰めていくと、そこに特異点(宇宙の温度、密度、曲率が無限大になる時点)が出現し、アインシュタインの一般相対性理論をはじめとしてすべての物理法則が破綻するという問題がある。これについて10年前のホーキング博士は、複素数の虚時間を使えば、宇宙の始まりは点にならずに平坦なものとなるから、問題は解決できると主張していた。ところが、それから10年経った今回の本では、超ひも理論を支持すると述べている。これは、素粒子といわれているものはすべて「点」ではなくて、実は「振動するひも」のようなものであり、そうすると特異点は生じないという理論である。

 やはり、ホーキング博士まで、超ひも理論派になってしまったのだと、感慨深いものがある。それだけでなく、この理論を基礎として、万物の理論は「M理論」といわれるものに行き着くはずだという。すなわち、世界は11次元で出来ていて、振動する「ひも」だけでなく、点粒子、2次元の膜、3次元の塊、そしてもっと描写するのが難しい物体や9次元まで可能な物体も含むとする。この理論によると、この宇宙は単一なものではなくて、11次元の丸め込みの具合によって10の500乗もの異なる宇宙が存在し得て、そのおのおのが異なる独自の物理法則を持っている。そして、そのうちのたったひとつが、我々の宇宙なのだというのである。

 一方、宇宙の始まりについて、ホーキング博士はこうもいっている。宇宙が一般相対性理論と量子論の双方によって支配されるような小さかったごくごく初期の時代には、空間次元は4つあり、時間次元は存在しなかった。つまりアインシュタインの一般相対性理論は、「時空」の概念から出発するが、宇宙の始まりには時間の次元が空間次元として振る舞うから、時間軸はなくて、方向しかないことになる。だから、時間の始まりはいつかという問いかけは、そもそも意味をなさなくなるというのである。これは、歴史が境界を持たない閉じた表面をなすということを言っていると同義である。つまり、宇宙はおのずから出現し、あらゆる可能な過程に沿って進化していき、それぞれが異なる自然法則によって支配される。これを別の観点からいうと、量子のゆらぎは無から無数の小さな宇宙を創造し、そのいくつかは臨界の大きさに達してインフレーション的に急膨張して、星や銀河を形成し、我々のような生物を生み出す(マルチバース論)。これは、量子論の多世界解釈にもつながる考え方である。むしろその自然な応用といってもよい。

 それでは、M理論でいう時空は10次元の空間次元と1次元の時間次元から成るが、そのうち畳み込まれているという7次元は、どうなったのか。これについてホーキング博士は、宇宙の歴史を探るには、その始まりは何かなどというボトムアップ的アプローチをとるべきではないという。なぜなら、このアプローチでは、宇宙の歴史はひとつであるという始まりと進化の仕方が定まっている決定論になってしまうからである。そうではなくて、量子論的に考えれば、歴史はトップダウン的に現在から過去へと遡るべきとする。そして、M理論において説明されるマルチバース(多宇宙世界)では、10次元の空間次元ごとに異なる自然法則によって支配されている。だから、そもそも我々は、3つの巨大な空間次元をもつ宇宙に住んでいることを観測の前提としていることから、それ以外の次元の空間次元をもつ世界を考えても、まったく意味がないとする。つまり、我々が住む宇宙は数多くの宇宙のうちのたったひとつであり、現在に至る歴史も無数の歴史がある。ではなぜ我々がその宇宙を近くするかというと、我々がそこに存在するという観測事実なのであるという。

 こういうことを聞くと、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という言葉が頭の中に飛び交いはじめ、なんだか、だまされたような気がしないでもない。ホーキング博士ほどの大家であっても、間違わないという保証はどこにもないからだ。その証拠に、超ひも理論をご自身で検証しているようには思えないし、それからM理論はまだまだ未完成の海のものとも山のものともわからないのに、これが最終理論だと断定しているところなどは、あまり科学者的な発想ではないように考える。そもそも、何かの現象を説明するのに、どの理論でもよくて、その内容を追求しないことがミソだなどといってしまうと、真理を追究しようとする意欲が失せてしまうのではないかとも思う。だから私は、この本のホーキング的発想は採らず、従来通り電磁力、強い力、弱い力そして重力の4つの力を統一する理論を追い求めている方が、理論物理学の正しい方向であるように思えてならないのである。



(平成23年3月 3日著)
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