悠々人生のエッセイ



「バナナの叩き売り」今井重美さん





1.下町まつり

 先週の土日に、「根津千駄木 下町まつり」というイベントがあった。東京の下町をもって自認する根津と千駄木のあちらこちらで、下町の庶民パワーが文字通り「炸裂した」といっても過言ではない。私が見たのは根津神社と藍染銀座通りの二つの会場だけなのであるが、いやまあ、その派手というか、弾けているというか、ともかくあちらこちらで大騒ぎの絵巻が繰り広げられた。たとえば先週の日曜日、根津神社に行くと、入り口付近でどういうわけか、山形の人が芋煮や丸いコンニャクを売っていると思うと、近所の人が開いた屋台でスイトンだの焼き芋だの焼きそばなども売っている。ふと見ると、郵便局の着ぐるみなども出て子供たちに愛嬌を振りまいていたし、消防関係者が何から相談事に乗っているようだ。そうかと思うと、近所の大学の学生グループが鯛焼きを売っている。もうこれは、要するに「何が何だかわからない」状態である。どうも、地域の人や行政関係が、玄人を入れないで手作りでお祭りをやっている雰囲気を感ずる。これはこれで、さほど目立つような屋台は出ていないけれども、それなりに派手派手しく、ご近所の人の熱意で圧倒される勢いなのである。現に、私のマンションの人が参加していた。普段はのんびりしているのが好きなご性格なのに、この日に限っては一心不乱に屋台を手伝っていて、挨拶してもそれどころではないといった風情だった。

若い女性グループによる和太鼓


 そうして人並みでごった返している雑踏の区域を通り抜けると、根津権現の池に掛かっている橋のある広場に出る。その先の仁王門前では、勇ましい半纏姿の若い女性グループがぴょんぴょん飛び跳ねながら和太鼓をドンドン叩きに叩いていて、あたかも踊り狂っているがごとくである。その勢いと大きな太鼓の音を聞いて、私などは感心する余り、ただ「はああーっ・・・」とため息のような声しか出ないほどである。そういえば私の友人がノースカロライナの自宅で、近所の人を集めて和太鼓の練習をしていると語っていたが、こういうものなのかと納得した。地下室でやっていると言っていたが、なるほどなるほど、これはうるさい。その音の大きさに閉口していま来た道を引き返したので、本殿でお参りをするのを忘れてしまったではないか・・・。

 それからしばらくして太鼓の雷のような音が収まったので、再び根津神社の仁王門前に行ってみた。すると今から江戸大道芸を演じるという。そういえばもう6年ほど昔のことになるが、この同じ場所でやはり大道芸を見物させていただいたことを思い出した。そこで、やや暑い日差しの下ではあったけれど、それではひとつ、今年も最後まで見物させていただこうと、家内と二人、ちょうど空いていた長椅子に腰掛けたのである。前回見たときは、蝦蟇の油売りの髭のお爺さんと、それから高円寺のシゲちゃんというバナナの叩き売りのおじさん特に面白かったなぁと思い出した。ところがこの日は、「蝦蟇の油売り」はいないようであるが、「バナナの叩き売り」はやっていただけるようだ。そのほか主な出し物として、神霊護符売りとマジックがあるらしい。

「一筆龍(いっぴつりゅう)」佐藤文幸さん


 さて、大道芸が始まった。まずは、司会者自らが、竹に大きな石を無造作に括り付けたものを出してきた。地面にお皿を置き、その上にこの竹の棒を立ててみよという。たまたま私が一番前にいたので、やってみないかと指名された。おっとり刀で出て行って、竹を皿の上に立てようとしたのだが、何しろ石は竹の一方に偏っていて、ひどくやりにくい。やむなく降参する羽目になった。そうすると、このおじさん、その竹をひょいと受け取って、ぐるぐる回してバランスを確かめ、数秒のうちに立ててしまったから、びっくりした。

 次の出し物に移り、そのおじさんとは別の人が、「一筆龍(いっぴつりゅう)」というのを演じた。要するに一筆で大きく「龍」という字を書くのだけれど、それだけではなくて、よく見ると筆跡で龍の体に鱗のような模様がついているという技である。これは、なかなかのものである。拍手喝采! 次は、「南京玉すだれ」で、「あっこれ!、あっこれ!」という掛け声の下に鳥居、魚などの形を造っていくものだ。もう相当昔の私の子供時代のことになるが、この種の芸をテレビで見たことがある。そのときは素直に感動したが、今のようにCGでどんな形も造り出してしまう時代になってみると、こういう手慰みの造形の妙という芸は、あまりピンと来なくなってきたのが悲しい。

「神霊護符売り」角福請さん


 「神霊護符売り」という行者姿の人が出てきて、法螺貝を吹き鳴らす。要は、何かの奇跡を起こしてみせるというものだ。この日は、見物人の中からどこかの奥さんに出てきてもらい、石を紙で吊り上げさせる。もちろん、石は重いから吊り上がらずに紙は切れてしまう。そうしておいて、色々と祈祷した上で再び紙で持ち上げさせると、今度は切れないで吊り上げられるというもの。昔はその上で、皆に護符を買ってもらったという商売なのだそうだ。それはともかく、こうやるとご利益があるということを聴衆に納得させる必要があるから、生半可の話術の演者では、見物人に受けなかっただろうと思う。

 さてそれからが、マジックである。もう70歳は超えておられると思われる妙齢ならぬ高齢の女性が出てきて、懐かしい伝統的な技を披露してくれた。基本的には、何もないところから色々なスカーフを出して来るもの、バネで上下に大きく伸びる棒を使ってリズム良く演じている。これは、昔ながらの懐かしいマジックそのものだ。次は、大きなトランプのカードを取り出して、誰か手伝ってくれという。一番前に座っていた私がまた指名されて出て行くと、そこから4枚を適当に選んで、選び終えたらそれらを溝に挟み込んで立てかけてくれとのこと。そうして今度はお仲間のひとりに目隠しをして立っていてもらい、その状態でいるときに私がその4枚の中から1枚を選んで見物人に見せる。そして席に戻った。すると目かしくされたおじさんが出てきて、その1枚を当てるというものである。誰かがサインを送っているのかどうか知らないが、これがまた、ちゃんと当たるのである。最後にご褒美として、ルービック・キューブをもらってしまった。今度、孫が来たらこれで遊ばせてみようかと思っている。

阿波踊り「堀切あやめ連」さん

阿波踊り「草加いなせ連」さん


 この根津神社の仁王門前での大道芸の最後が、「バナナの叩き売り」である。演者は6年前と同じ、高円寺のシゲちゃんこと、今井重美さんだ。冒頭の写真であるが、小気味の良いタンカ、名調子の語り口、近頃の世相を交えながらの冗談と続いて延々としゃべる一方で、バナナを小刻みに売っていくというのは、とても貴重な技である。ただまあ、いささか品の良くない表現がないわけではないが、それもまたご愛嬌。いずれにせよこれは口上の技なので、文章に書けるようなものではない。別にビデオでも見ていただければと思う。いずれにせよ、見物人との掛け合いの面白さがこの芸の真骨頂である。「高いよ」とか「もっと安くしろ」などと叫ばれて初めて調子が出るというもの。ところが最近の日本人は、そもそも値切るという習慣がないし、こういう場合にどうやって叫んだり冷やかしたりすればよいのかわからないと来ている。また、「はいこれ、300円でどうだ!」と叫んだとき、客から「買った!」と言ってもらいたいらしい。しかし、そういう客の方からの掛け合いがちっともないから、張り合いがないというのである。柴又の寅さんのような下町の気風が満ち満ちた世界は、とうの昔に消えてしまったようだ。

阿波踊り、上手で可愛かった「浅草写楽連」の子供さんたち


 根津神社の近くに、不忍通りを隔てて藍染銀座通りという道がある。昔は通りの両脇の商店がそれなりに繁盛していたようだが、その時代もおそらく何十年前に終わり、今や普段のときは何の変哲もない道である。ところが、この日は違った。そこに目がけて、阿波踊りの三組と、それに何百人もの江戸かっぽれの一行がなだれ込んできたのである。阿波踊りは、「草加いなせ連」、「堀切あやめ連」、「浅草写楽連」であるが、あのチンコンチンコンという囃子とともに、いやもうその踊りの激しさといったらない。しかし、女性はあくまで優雅でしなやか、男性は横っ飛びに飛んだりして派手に動き回る。子供さんたちの踊り手もあって、なかなかかわいい。それを眺めながら、皆でこのささやかな祭りを楽しんだのである。ふむふむ、これはこれで、なかなか良いものである。それにしても、「梅后流江戸芸かっぽれ」の皆さんには驚いた。道路に縦三列に並んで、大音響の調子のよい音楽に合わせて、何百人も皆で一緒に踊るのである。それも40〜70代の人ばかり。これほどの人数が一同に会してこんな踊りを一斉に踊るなんて、今の日本にあるのだろうかと思ったほどである。いやまあ、びっくりしたの何のって・・・。

「梅后流江戸芸かっぽれ」の皆さん


2.江戸・東京の大道芸

 その根津神社で見物していたとき、翌週に深川江戸資料館の小劇場にて、江戸・東京の大道芸が演じられるというチラシをもらった。主催は日本大道芸・大道芸の会である。その前口上なるものを引用させていたただくと、「いま大道芸といえば、南蛮お手玉(ジャグリング)や形態模写(パントマイム)などの洋物を指すようになってしまった。これに対し、私たちが行っているのは、啖呵口上を中心とする日本古来から伝わる大道芸である。前者が芸を見せて投げ銭を得るのに対し、後者は芸では銭をとらず、終わった後で何らかの商品(薬、お札、バナナなど)を売って生業としていた。ところが近年になって、薬事法や道路交通法などができ、芸(商売)を禁じられ姿を消してしまった。このような大道芸を発掘し、記録(『大道芸通信』の発行)、伝承(大道芸講習会の開催)、復活再現(村おこし・町おこしイベントなどへの出演)しているのが私たち「日本大道芸・大道芸の会」である。皆さんのご理解と積極的な参加・情報提供をお願いいたします。」とのこと。

「ぼてふり商人」


 なるほど、洋物に対する和物、芸では銭をとらなかった、法律による規制で衰退、庶民文化の継承か・・・いささか感傷と哀愁が伴う歴史である。それにしても、この大道芸の会、とても意義のあることをされていると感心してしまった。それでは、この深川江戸資料館に行って見物してこなければと思い、昨日、出かけたのである。小劇場に着いてみると、年配の人ばかり、50人ほどが思い思いの場所に腰掛けている。いよいよ幕が開いた。女性の声でナレーションが入る。「江戸時代はもちろん、昭和30年代頃までは一般家庭に冷蔵庫はありませんでした。その代わり新鮮な食材を天秤棒で売り歩く『ぼてふり商人』たちが一日中、歩いていました。中でも夜明け前から朝食用の納豆やあさりを売りに来ました」という。それが終わると、今度は日常生活用の物売り商人が次々と現れた。その言葉とともに、納豆売り、あさり売り、七色唐辛子売り、はったい粉売り、煮豆売り、飴売り、かりんと売り、大原女、金魚売りと、次々に出てくる。この中で私は子供の頃、「きな粉にはったい粉」という物売りを見たことがある。

 次いで、「物や道具を大切に扱い、ゴム靴や鍋釜なども修理して大切に使いました」というナレーションとともに、ゴム靴修繕、鋳掛け屋というものが現れた。ああ、そういえば私が小さい頃、鍋釜の修理屋というのが確かにいた。鍋に空いた穴にナットのようなものを突っ込んで叩き、器用にそれを塞いでいたことを思い出した。それに、包丁の研ぎ屋という人もいた。昔はこういう日用品の修理を繰り返して徹底的に使ったものだが、今はすぐに捨ててしまって買い換える時代である。GNPが伸びるわけだが、資源の浪費には違いない。最近のテレビ番組で、割れた茶碗を道具を使って直してしまう中国の内陸部の修理屋さんを描いたものがあった。そのとき、ああ、昔の日本のようだと懐かしく思ったことがある。しかし、かつての日本の高度経済成長のように、近年の経済が大発展を続ける中国なので、こういう人たちも近々消え去る運命なのかもしれない。

 急に、妙な人物(佐藤文幸さん)が現れた。上半身は裸に近く、額に金色の扇子を挟み、荒縄で体を縛っている。それがなにやら騒ぎながら、白いお札を放り投げている。それを拾うと「牛頭天王」とある。これは「すたすた坊主」と呼ばれているらしくて、このお札を拾った子供の親から喜捨をせしめていたそうな。この種の坊さんは、もともと京都鞍馬の僧侶が別院建立のために家々を托鉢して歩いた「願人坊主」から始まったようだが、それが終いにはこのような乞食坊主に堕落したとのこと。

「南京玉すだれ」


 「南京玉すだれ」には、松浦和歌子さん、磯田明さん、近藤保子さん、飛澤麻里子さんなど数人が出てきて、調子のよい掛け声にあわせて鳥居、魚、円などとすだれの形を見せる。中にはまだ5〜6歳の女の子もいて、その子が時々詰まってしまい、周囲の大人が気を遣うなどして、なかなかほほえましいものだった。ところで、あの平板に見えるすだれで、大きな円を描いたり、それを縦にして東京タワーとやるのは、一種のレトロな雰囲気を感じされてくれた。

「蝦蟇の油売り」北島健治さん


 「蝦蟇の油売り」が出てきた。6年前に根津神社で見かけたときは立派な髭のお爺さんだったが、この日はまだ若い人(北島健治さん)で、なかなか立派な口上だった。「鏡の前に置かれた蝦蟇がタラーリタラーリと油汗を流し、それを煮詰めた・・・」といういつもの話だが、ウィキペディアから引用さていただくと「筑波山ガマ口上保存会によれば、筑波山名物・ガマの油売り口上は、200余年前、常陸国筑波郡筑波山麓出身の永井兵助が、故郷の薬ガマの油で一旗揚げようと売り口上を考案し、江戸・浅草の縁日の大道で披露したのが始まりとされる」そういえば昔、私の子供の頃に、縁日でやはりこれをやっていて、子供心に刀で自分の腕を傷つけるシーンが何とも嫌だったことを思い出した。半世紀ぶりにそんなことが頭の中に蘇るのだから、人間の頭脳というものは不思議なものである。佐藤文幸さんの演ずる「一筆龍(いっぴつりゅう)」は、根津神社でやっていたから省略するとして、光田憲雄さんの「六魔」というのは、占いを意味するものだという。その次は、これまた根津神社でおなじみの「神霊護符売り」(角 福請さん)で、これは元々、目の前で奇跡を見せ、それでお札を売っていたものとのこと。

「虚無僧」の藤由越山さん


 虚無僧が出てきて、尺八の良い音色を聞かせてくれる。それもそのはずで、この方は普化宗尺八の第一人者である藤由越山さんとのこと。それから、バイオリン片手に明治の書生の姿をした楽四季一生さんが現れた。何でも、明治末期から昭和初期にかけて、ヴァイオリン演歌というものが流行って、当時の政治や世相の批判、街の演歌のようなものを演奏しながら歌ったらしい。この方は、老人ホームなどにも慰問に行かれるらしくて、ご老人たちも聞いたことがある歌には反応するという。バイオリンの哀愁ある響きと、その演者のバリトンの歌声が調和して、何とも面白い舞台だった。

「ヴァイオリン演歌」の楽四季一生さん


 もう最後から二番目となったが、根津神社でも演じていたシャンヌ亜紀さんによる「南京手品」である。ナレーションによると「明治時代になって西洋手品が入る以前にも長崎を経由して外国の手品も伝えられました。それらは何番手品とか南京手品とか呼ばれました。ともに外国から来た珍しい手品という意味」とのこと。最後は、やはり根津神社でおなじみのバナナの叩き売り(しげちゃんこと、今井重美さん)である。これもナレーションによれば、「バナナの叩き売りは明治末期にバナナの陸揚げ地であった下関で始まりました。以来、大道芸になくてはならないものとして、隆盛を極めました」という。そういえばもこれも私の小さい頃、縁日でやっていたが、啖呵と口上が激しくて、とても子供には近づけるものではなかったという記憶がある。まあしかし、この日は、いずれも年配者ばかりで、適当に「高いヨ!」という掛け声もかかるし、和気藹々という感じであった。そのバナナも売り切って、最後に出演者全員が出て、うさぎ追いしかの山・・・と「故郷(ふるさと)」を歌って、お終いとなった。

「シャンヌ亜紀」さんの「南京手品」


 ちなみにこの大道芸の会、主演者がまさに手弁当で行っているし、会場の借料なども割り勘で負担しているという。つまりは伝統芸を守りたいという参加者個々人の熱心さから来ているのである。今時よくそんなことでやっているものだと、私は心を打たれた次第である。ところで、こういう活動を支援するために、インターネットで募金を呼び掛けて、ひとりひとりは薄くてよいから、広くお金を集めるシステムができないものかと思っている。

出演者全員が出て、うさぎ追いしかの山・・・と「故郷(ふるさと)」を歌う


 しかし、そうした募金活動をするには、いくつか乗り越えなければならない課題があると思う。まず第一に、信頼性がなくてはならない。拠出に応じる人としては、自分が出したお金が果たしてその目的に使われたどうかが不審なままでは、納得できないのは当然である。年末の赤い羽根募金ですら、その団体の維持にかなりのお金が使われているというから、そういうことはないようにしないといけない。次に、インターネット上でそのような小口のお金を集めるシステムを構築しなければならない。そういうシステムは意外とあるようで、現実にはほとんど見当たらないのである。資金決済法などの法規制がかかるからなのだろうか、一度、確かめてみたい。最後に、拠出した人に、その出してもらったお金がどのようになったのか、十分なフィードバックがされなければならない。これは、メールででもお知らせすれば十分だろう。そんなことで、この大道芸のおかげで、いろいろとアイデアが浮かんでくる。モノになるかどうかはわからないが・・・。



(平成22年10月24日著)
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