This is my essay.



横浜中華街のレストランの、おいしそうな看板




 12月初旬の土曜日ともなると、冬の気配が強くなり、いささか寒くなってきた。でも、戸外にいて寒さに耐えられないというほどでもない。そこで家内と、「今日は少し遠出してみてもいいね」ということになった。二人の意見が一致したのが、横浜である。中華街に行って、おいしい中華でも食べようということで、いそいそと出かけた。日比谷と中目黒で乗り換え、みなとみらい線の元町・中華街駅には、自宅から小一時間で着いてしまった。これでは、遠出とはいえないなぁと思いつつ、駅を出てみれば、たまたまそこに「横浜人形の家」というものがあった。「ここには、まだ行ったことがないわね」という家内の声を聞けば、立ち寄らないわけにはいかず、入ってみた。

横浜人形の家「赤い靴の女の子」の人形
 すると、最初に飾ってあったのが、この赤い靴の女の子である。♪ ♪ ♪ 〜  赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに 連れられて行っちゃった ♪ ♪ ♪ 〜という童謡が頭に浮かぶ。定説によると、この女の子、岩崎きみちゃんは、アメリカ人の宣教師夫妻とともに渡米するはずだった。しかし、その直前に結核に罹患していることがわかったために、麻布の孤児院に残され、そのまま9歳で亡くなったという。この童謡にはそういう悲しい話があったのだなぁと思ってこの人形を見ると、憂いの影を帯びた女の子の表情の理由が、よくわかるというものである。そのほか、この横浜人形の家では世界各国の人形たちが数多くあったが、最初に置いてあったこの赤い靴の女の子が一番、印象に残ったのである。

 横浜中華街は、そのすぐ近くである。何しろ、食べるところや料理がありすぎて、どれにするか、あれこれ目移りがしてなかなか決まらなかったが、結局、フカヒレの姿煮のコースにした。私たちは以前、東南アジアに住んでいたことがあるが、そのときのフカヒレ料理にはびっくり仰天した記憶がある。というのは、コースの途中で出てきたフカヒレ入りのお椀に箸を突っ込んでみると、とても重い。ままよと思って持ち上げてみると、中身がそっくり、半球の形でごっそりと持ち上がったからである。その点、日本に帰ってきてフカヒレを注文してみて、逆の意味でびっくりした。フカヒレ・スープと名打っているのに、ほとんどが片栗粉入りのスープで、フカヒレらしきものは、わずかに数本、それらしき細い破片が入っていたにすぎなかったからである。これこそ、羊頭狗肉というのも恥ずかしいくらいである。
横浜中華街のレストランのフカヒレの姿煮
 そういうわけで、さてこの横浜中華街の「フカヒレの姿煮」とはどんなものだろうと、興味津津だった。いよいよ、そのフカヒレの姿煮が出て来て、いささかがっかりしたものの、幻滅したというほどのものではない。どちらかというと、もちろん日本的なスタイルに非常に近い。しかし、いちおう「姿煮」というだけあって、片栗粉入りのスープの中に、まあそれらしき、固体が入っていた。あとの料理はそれほど悪くなく、満足して食べ終わった。

 そして、いっぱいになったお腹を何とかしようと、中華街の中を散歩した。特に面白かったのは、2年前に開廟した「横濱媽祖廟」で、海の守護神「媽祖」を祭るところである。その開廟当時は、いつでも誰でも自由に入れたのに、今回は、拝観料として100円を徴収するようになった。さすが、華僑の(末裔の?)皆さん、やることが違う。ところが参拝する日本人は、いずれも神社がタダなのに慣れているせいか、「いくら払うの、じゃ、やめよう」などと世知辛い。しかし、考えてみれば、日本の神社も参拝する人が自主的に支払うお賽銭の収入で成り立っている。それと比較すれば、媽祖廟の方が定額だから、むしろこちらの会計の方が、より明瞭だともいえる。

横浜中華街の「横濱媽祖廟」

 それはともかく、その定額の拝観料を払ってお堂の中に入ると、係りの女性に「お参りの仕方、知ってますか?」と聞かれて、首を左右に振ると、それを教えてくれた。小さくて四角い平らな椅子に、まずひざまづけという。その通りにすると、「まず三回礼をして、ご自分の名前と住所、それからお願い事を心の中で唱えること」と言われた。その順で頭の中で唱えていると、まだ終わらないうちに、「さあ、次の方」と来る。いやいや、そのせわしいことといったらない。家内も「いつもは、我々の家族から始まって、両親やら妹たちの名前をみんな思い浮かべて、健康などをお願いするのに、ここでは、自分の名前と住所と自分ひとりの願い事で終わってしまったわ」と苦笑していた。その一方、我々の隣では、何やら木片をガターンと大きな音をして落している。これは迷惑な、と思ったのだけれども、どうやらそれもお祈りのひとつで、なんとお御籤を引いていたらしい。そういうわけで、日本の神社やお寺と比べれば、中国人の活力を表しているのか、こちらの媽祖廟はいささか騒々しい。

横浜中華街の「横濱媽祖廟」

 係りのお姉さんに、「『媽祖』というのは、どんな神さまなんですか?」と聞いたところ、「ああ、あそこに書いてあります」と、軽くいなされてしまった。仕方がないのでそれを読むと、「天上聖母(媽祖様) 航海安全・疫病忌避・健康祈願・優しさと心を育む女性の神様」とある。これだけではよくわからないので、帰ってからウィキペディアを調べた。すると、「媽祖(まそ、ピンイン)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。特に台湾・福建省・広東省で強い信仰を集め」ているとのこと。そういえば、香港のお寺に行った時にも、この女神像を見たことを思い出した。それが、はるか遠くの日本の、港町であるとはいえこの横浜にまで根付いているとは………。

横浜中華街の「横濱媽祖廟」でのお祈り。手前には、天上聖母(媽祖様)の霊験内容が書かれたプレートがある。

 だいたい。元々は漁業の女神様だったのに、なぜまたそれが、横浜の中華街で商売繁盛!などとやっているのか不思議でならない。いや、もっと変なのは、我々みたいな日本人が、あたかも神社にお参りするように、そんな異国の神に参拝していることである。これひとつをとってみても、日本というのは、八百万の神々の世界だということがよくわかる。そういえば、仏様だって、元々はインドの神様だったなぁ………だったら、たまに中国の神様にお祈りしても、バチは当たらないだろうと思う、このいい加減さが日本的なのかもしれない。

 そこを出て、また店やレストランを見ながらぶらぶらと進んで、関帝廟までたどり着いた。ちょっと小腹が空いたという感じがしたものだから、軽く飲茶でもということで、関帝廟を見下ろすレストランに入った。すると、おいしそうな月餅(げっぺい)があったので、急きょ方針を転換し、それとお茶を注文した。温かい室内で、家内としゃべりながらポットの鉄観音茶や茉莉花茶(ジャスミン茶)を飲み、ラード分の少なそうなその月餅、芙蓉と松をいただいて、生き返った気分となったことは、いうまでもない。

 それから、朝陽門から山下公園に出て、氷川丸の横からシーバスに乗り、みなとみらいに行ってから、帰途についた。

山下公園の氷川丸で青い空にはためく日章旗の白地と赤い丸が美しい。



 「赤い靴」 歌詞

                
野口雨情作詞・本居長世作曲

  赤い靴 履いてた 女の子
  異人さんに つれられて 行っちゃった
  横浜の 埠頭から 船に乗って
  異人さんに 連れられて 行っちゃった
  今では 青い目に なっちゃって
  異人さんの お国に いるんだろう
  赤い靴 見るたび 考える
  異人さんに 逢うたび 考える





(平成20年12月 7日著)
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