This is my essay.








 今年は、真夏のお盆の時期に久しぶりに帰省し、実家で両親としみじみ語り合った。父も80歳をとうに超え、やや耳が遠くなったものの、頭の中はまだまだ矍鑠としていて、心強い。母も、最近の趣味はというと、なんとまあ数独らしくて、解けると頭がすっきりするという。私もこの二人に将来の自分の姿を重ね合わせ、大いに自信が湧いてきた。

 地球温暖化のせいかどうかは知らないが、外気温が37度近くに達し、この夏は近来記憶にないほどの暑さである。居間はクーラーをつけてもどこか生暖かいので、父と母の普段の居所は玄関脇の庭を望む北向きの一室である。そこは自然の良い風が通る場所で、スイカを食べながらのんびりと、父とよもやま話をした。話題は、私の仕事、家族や親戚のこと、健康のことなど、いろいろである。ところが、父も最近はあまり出歩かないので、近くに住んでいても親戚の近況は、あまり詳しくない。私が「あの伯母さん、どうしているかねぇ」というと、父は「まあ、便りのないのは、元気な証拠だろう」という調子である。

 ところが、良くしたもので、ちょうどそういうときに、私の従兄弟がひょっこり現れた。「おお、帰っていたの、ちょうどいいや」などと、昼間から上機嫌である。実はこの人、親類の話題にかけてはピカイチの消息通で、それを独特の節回しを付けて各戸で披露してくれる。それが、自分なりの人生観を重ね合わせて解説するのである。まあ、現代の吟遊詩人というか、私設放送局というか……。おかげで親戚の消息が手に取るようにわかるのはよいのだが、逆にこちらの最新情報も遅くとも明日中には親類一同に知れ渡ることとなる。ありがたいような、迷惑のような、しかしながら、なかなか憎めないキャラクターというわけである。どの一族にも、こういう役割を果たす人は、少なくともひとりぐらいは、必ずいると思う。

 早速、私が「あの伯母さんは最近どうなの」と聞くと、間髪いれずに説明してくれた。「この間、ウチの母のところに電話をしてきてさぁ、『入院しているのに、なんで見舞いに来てくれないの』というものだから、あわてて病院に行ったんだけど、ピンピンしていたんだよねぇ、それが……。後から話を聞くと、もう94歳になるのに、あまりにうるさいものだから家族が閉口して、ちょっとした風邪にかかったことを理由にさっさと病院に入ってもらったそうな。すると、それが4人部屋だったから、いやもう、周りがうるさいの何のって。それで個室に移ったら、今度は寂しくなって、それで親戚中に電話を掛けているというわけ。」 (ははぁ、そういうことか。むべなるかな。)

「そうそう、A子叔母さんとこの○○ちゃんは?」
「ああ、○○ちゃんねぇ。今度、再婚しようというところまで漕ぎ付けていたのに、お相手がお父さんと一緒に破産してしまってねぇ。それで、ダメになったという話だよ」 (いやいや、そんなことまで良く知っているな。)

「それよりも、□□さんとこのおばさん、腰が曲がってしまってねぇ。可哀想なくらいだよ。加えて、嫁さんとの関係がうまくいってなくてねぇ。同じ家なのに、まるで自炊をさせられているらしいよ。私が行っても、かの嫁さんは挨拶にも降りてこないしねぇ。もっと△△ちゃんが、目を配ってやるべきなのに。」 (おやおや、人の家のそんなことまで)

「ところで、あんた。年収はいくらになったかね。この間の新聞によれば、これくらいかね」などといって、指を突き出す。私も、「まあ、そんなもんだ」と答えたが、もう明日には、親類中に知れ渡っているだろう。そうか、本日の貴重な情報の対価は、これだったか。やはり、タダで情報は得られないという見本のようなものだ。それにしてもこの人、おそるべき情報能力である。こういう人が、外国で情報収集に当たったら、相当役に立つだろうな・・・プロとアマの差はあるにしても、まあ、やっていることは、同じである。

 その人が帰った後、しばらくして、両親とともに妹夫婦の家に行った。普段は妹夫婦が両親の家にやってくるのだが、今回は私が行く用事があるので、両親も一緒に行って久しぶりにあの家の様子を見ることとした。5分ほど車に乗って妹の家に着くと、車が三台もある。そういえばここの家の子も先日、成人式を迎えていたなと思っていたところ、妹が満面の笑みをたたえて出迎えてくれた。その誘導で、その三台があるところに、さらに父の車を乗り入れて、家に入った。

 家の中には、あちらこちらに日曜大工の器材が置いてある。ははぁ、またやっているなと微笑ましく思う。何しろ妹の婿さんは、日曜大工好きで、このあたりでは有名なのだから。その代わり、来るたびに家の様子が異なっているので、戸惑うことが多い。たとえば今回は、入り口のホールに鎮座していたピアノがどこかへ消えてしまい、その跡が廊下のようになっていて、こげ茶色の家具が並んでいる。あれれ、という顔をしたら、妹が「えへへ、ここを区切ってもらって私専用の小部屋にしたのよ」という。裏に回りこんでみると、確かに、ひと部屋できている。そういえば、この子は小さい頃から、秘密の部屋めかしたこんな所が好きで、いつも隠れてひとり遊びをしていたものだが、こんな大人になってもその癖が抜けないのかと思い、無性に可笑しかった。

 それから、勝手知ったる妹の家というわけで、私と両親が台所に行ってテーブルに座り、妹が入れてくれたお茶を飲み、お茶菓子をとろうと手を伸ばした瞬間のことである。バキバキバキッという音がして、あららっという間に、私の体が壁伝いにゆるゆると沈んでいくではないか。一瞬、何が起きたのかわからなかったが、床近くになって、体の両脇に折れた木の棒が目に入って理解した。私の座っていた椅子がゆるやかに壊れたのである。私の顔が机の上から消えていくのを見た妹が、あっと口を開けて両手で頬を抱えたのが見えた瞬間、もう私の視界は机を見上げていた。コンコンコーンと良い音がして、壊れた机の部品が床に転がった。

皆、私を覗き込んで「だ、だ、大丈夫?」と言ってくれたが、私は体の無事を確かめつつゆっくりと立ち上がった。そして「ああ、椅子が壊れちゃったよ。ごめん、ごめん。」と言って、右手に握っていた椅子の肘掛けを放すと、それが床に転がった。そのとき再びコンコーンとまるで鈴のような音色を立てたことから、一同、爆笑に包まれた。妹は、「あら、たいへん、その椅子は一週間前にお父さんが直したばかりなのに・・・お兄ちゃん、すみません。」と言ったので、「とても、商売にならない腕だねぇ。まだ修業が足りないな。」と答えたら、また皆が大笑いをし、私もつられて笑いに笑ったので、顎とお腹が痛くなった。椅子が壊れたときより、こちらの方が痛かったほどである。こういうのも、故郷においてしか味わえない、帰省の醍醐味というべきか。

 そろそろ、お正月の帰省の時期が近づいている。しかしそれにしても、次に妹の家に行って座るときには、その椅子があの婿さんの作品かどうか確かめるなどして、よくよく気をつけなければ……。




(平成19年12月11日著)
(お願い 著作権法の観点から無断での転載や引用はご遠慮ください。)




ライン




悠々人生のエッセイ

(c) Yama san 2007, All rights reserved