This is my essay.







目  次
格差社会の現実
中国の台頭と公共事業の減少
まず個人が自衛策を
報技術の活用が打開策
情報化が新たな格差を生む


1.格差社会の現実

 過去10年、とりわけ経済発展を続ける中国等との国際競争の激化、大幅な赤字を続ける財政収支に起因する公共事業の大幅な縮小などを背景として、国内経済の停滞と労働者の賃金水準の低下が目立つようになってきた。その結果、我が国の社会の様々な面での「格差」というものがますます拡大したといわれている。一方の極には、六本木ヒルズ族(若き起業家)、医師、弁護士、一部上場企業役員、外資系企業社員、経営コンサルタントなど、年収3000万円以上、金融資産1億円以上とされる層がいる。そうかと思えば、他方の極には、ワーキングプア(働いても生活保護世帯の所得にも届かない層)、半数以上が貧困とされる母子家庭や高齢者のひとり所帯、ニート(働かず、学校や職業訓練にも行かない若者層)などが社会的問題となっている。

 労働市場では、正規社員に対して、非正規社員が三分の一を占めるようになり、このほか若者の一部でフリーターとかいわれる層が200万人にもなってきた。このような人たちでも将来に希望があればよいのであるが、残念なことに、一旦そのような境遇に陥ってしまうと、なかなか敗者復活への道が難しいことが問題である。さらに企業間でも、格差は増す一方である。我が国最大手のトヨタは、営業利益2兆円を挙げているのに対し、他方では公共事業額が一時の半分に落ち込んでしまった建設業の苦境は筆舌に尽し難いという。加えて、大都市と地方との格差も拡大し、首都圏やトヨタの城下町である愛知県では人口が増えているのに対し、地方では火の消えたような駅前シャッター通りがあちらこちらで見かける。

2.中国の台頭と公共事業の減少

 このように、格差社会現象が日本の社会のいろいろな面で目立つようになってきた理由について、私は次のように考えている。まず第一は、隣国の中国が自由な国際競争社会に参入してきたことである。私が1986年頃に中国を初めて訪れたときには、天安門広場の前は、青い人民服を着て自転車に乗った人々であふれかえっていた。そこに私のように背広で通りかかろうというものなら、人々の好奇の眼差しが向けられたほどである。それがわずか10年後の1996年頃に中国を再度訪れたときには、人々の服装は一変して実にカラフルなものとなり、人民服など全く見かけなかった。私には、これが同じ国とは信じられないほどであった。加えて、北京のあちこちでは大変な建築ラッシュが続き、壮大な建築物が続々と建てられていたのである。

 それだけなら中国国内の変化にとどまっていたのであるが、その頃から中国より怒濤のように極安の製品が入ってきたのである。私が覚えているのは、日本のデパートでは一着3万円のセーターがで売られていたときに、驚くことに中国製のセーターが一着500円で売られ始めたのである。もちろん、彼我の品質やデザインの差は大きい。それでも中国製品の値段は日本製品の洗濯代にも満たない金額だったから、あっという間に日本製品は市場から駆逐されてしまった。ユニクロが安くて良質な製品を中国で作らせてどんどん売り出したのも、この頃のことである。日本の製造業は悲鳴を上げ、次から次へと中国に進出して生産拠点を持つようになった。これは、我が国から賃金や所得が中国に流出したことを意味している。つまりそれだけ、地方に落ちるお金が減ってしまったのである。

 それから、これまでの日本の政治は、田中角栄元首相以来の公共事業中心主義で、膨大な国家財政を地方に対する公共事業や地方交付税という形で配分するという仕組みだった。ところが、国と地方を合わせて1000兆円にも上る借金………赤ちゃんを含めて国民一人当たり428万円を越えるといわれる国家財政の膨大な赤字………を前にして、小泉純一郎首相が大なたをふるって、一時は16兆円もあった公共事業をこの数年で8兆円へと半減させるなど、財政赤字対策をドラスティックに講じた。これが、結果的に地方の建設需要を冷え込ませてしまった。また地方の主な産業である農業も、EPAや財政赤字や就業者の高齢化などを背景に、従来のような保護農政を続ける余裕もなくなった。これらが合わさって、地方経済の衰退を招いたのである。

 加えて特に、最近よく言われる駅前シャッター通りの問題は、地方の経済の中心が「駅前」の商店街から「郊外」のショッピングセンターに移ってしまったことが原因である。公共事業がどんどん進んで地方の道路が良くなり、それを使って住民が自動車で移動するようになり、その結果、駐車スペースに制約があって新味のない駅前の商店街より、郊外の清潔でエンターテインメントが充実してチョイスの多い大型ショッピングセンターの方に、買い物に行くようになったというわけである。考えてみると、これも、ひいては公共事業によって交通網が整備された結果が生んだものといえるので、誠に皮肉な気がするわけである。

3.まず個人が自衛策を

 それでは、有効な対策はあるかという問いが浮かぶところである。それを考えるのは政府と政治家の仕事であるが、私はそう簡単には見つからないと思う。というのは、中国の台頭や国家財政の赤字などというものは、そう簡単に対応できるような性格の問題ではないからで、もうこうなった以上は姑息な弥縫策を講ずるのではなく、経済成長を通じて正面から突破するしかないと考える。かつての日本なら、豊かな人口と技術力を背景に圧倒的な経済成長を続け、その成長力の果実の分配によって経済上の問題を解決するところである。

 しかし、これからは人口減少と経済の停滞の局面に入るし、また日本人にかつてのようなハングリーさや良い意味での貪欲さが失われた今日では、以前のようにはいかないのではないかと思う。だいたい、ニートで自宅に引っ込んでいるなどという人間は、昔はほとんどいなかった。これも、戦後の日本が大家族制を解体して核家族化を進めすぎたせいで、親子夫婦兄弟親戚がバラバラになり、その結果、子供の社会性が失われたためだと考える。

 それについてはまた別の機会に考察することとして、いずれにせよ、かくなる上は、まず国民ひとりひとりが、自衛することが第一歩となる。まさに、「天は自ら助くる者を助く」とする福沢諭吉翁のおっしゃるとおりである。私たち夫婦は、ともあれ子供の養育という義務を果たした。子供たちには六本木ヒルズ族にでも何でもいいから、なれるものならお好きなものに将来なってもらうこととして、そんなものには全く縁のなかった我々は、これから夫婦で老後をつつがなく過ごせる程度の、ささやかな資産を貯蓄しなければならないと考えている。

4.情報技術の活用が打開策

 そのような個人レベルでの自衛策をとることはもちろんとして、国レベルでもし私が政治家ならどうするかと考えてみると、ひとつだけ方策があると思うのである。それは、国家を挙げての抜本的な高度情報化革命を行うことである。どういうことかというと、情報技術(IT)を利用し、従来の行政機構それに産業構造を一変してしまうのである。まず、国民と法人のすべて、土地その他のあらゆる資産に一連番号を付与する。そして、納税、年金、運転免許、住民登録、商業登記、土地登記、地図、選挙などの公的部門のみならず、銀行口座、クレジットカード、携帯番号、電気・水道・ガス、商取引などの民間部門までその一連番号で処理するようにする。

 そうすると、各省庁やその出先、それに各地方公共団体などは無用の長物と化し、公的機関に必要な組織数及び公務員数が激減する。庁費や人件費に余裕ができれば総需要創出のためにそれこそ公共事業を積み増せばよい。国の借金も返せる。国民と政府との接点は、ワン・ストップで処理できるので、国民の利便性は高い。また、民間取引も安全で確実なものとなるので、信用補完が容易となり、他方では真っ当な取引を行っていないギャングや脱税の常習者などは困るというわけである。

 いろいろな分野で、国が基幹コンピューターシステムをつくり、それを官と民が連結することで、国内で重複するコンピューターシステムが一挙に整理され、効率化がされる。膨大な数の一連番号は、ウェブ2.0の世界に移行すれば、十分に可能である。当初はたとえ民間がついて来られなくとも、官のシステムだけでもこれを順次整理して統合していけば、それだけでも効果的な行政改革となる。国と地方という仕分けもなくなるであろうし、少ない税財源でも、より効率的な行政機構を維持することができる。

5.情報化が新たな格差を生む

 もちろん、この構想には、問題がないわけではない。たとえば、個人情報の保護をどうするか、官と民との仕分けをどうするか、地方自治をどうするかなど、法律問題も数多い。しかし少なくとも、いわゆる国民総背番号となる一連番号の利用をし始めることが、その第一歩となる。ところが住基カードくらいであれほど騒いでいるのであるから、それは何時になることか。なお、2007年春の国会に、経済産業省が提唱した電子債権法が提案されている。これは、債権債務の取引を電子的な帳簿の付け替えで行おうというものであり、手形の世界がこれで電子化される。民間取引も、このようなところから、既に大規模な情報化が始まっているのである。

 もっとも、このような高度情報化社会が実現されたとして、どの時代のどの世界にも、新たな技術革新に付いていけない人たちがいる。情報化(IT化)が進むに連れて、既に電子メールや検索機能の利用などの面で、立ち後れている人々のことを「デジタル・デバイド」が進んでいるというが、また新たな社会的格差が生じるということであろう。やはり人間、勉強しない輩は、どの時代でも置いて行かれてしまうということか。せいぜい私も、時代の先端の知識を常に吸収していくように努めていくこととしたい。




(平成19年3月21日著)
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