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オルゴールの博物館の写真へ




 オルゴールと聞いて、たいていの人は「ああ、宝石箱などによくある、素朴な音が出る玩具だね」と言うだろう。いや、多少は高級なオルゴールのことを知っている人でも「機械文明時代の遺物のような存在だよ」などと思っている人が多い。実は、かくいう私もそのひとりだった。しかし、文京区にある『オルゴールの小さな博物館』というところを見学して、実際に様々なアンティーク・オルゴールの演奏を聴いたところ、私はまるで天地がひっくり返ったような気がしたものである。子供の玩具や遺物どころか、レコードやCDにも負けず劣らず、表現力が非常に豊かな楽器だったのである。アンティーク・オルゴールを聴けば聴くほどその音は、まるで血の通った音楽のように思えてきて、いとおしいような気持ちすら抱いたものだから、不思議である。しかも、産業技術史的な観点でも、オルゴールの歴史は現代の熾烈な競争時代の出来事と相通ずるものがあるという、面白い存在であった。久しぶりに、私の知的好奇心を刺激してくれたというわけである。

 それでは、オルゴールとは、どういう楽器だったのか、順に見ていくこととしよう。

 オルゴールの小さな博物館は、18世紀から20世紀にかけて発達したオルゴール(自動演奏装置)を約300台所蔵している。その内容は、シリンダー・オルゴール、ディスク・オルゴール、オートマタ、ストリート・オルガン、自動演奏ピアノというものである。以前は個人のお屋敷だあったが、今回行ってみたところ、建物は新しく七階建てに建て替えられていた。演奏会コースと博物館コースがあったので、その両方を申し込んでみるとよい。どちらも面白かったし、ちゃんと時代時代のアンティーク・オルゴールの音色をたっぷりと聞かせてくれた。ここでは、その二つのコースで得た知識を織り交ぜながら、振り返ってみたい。

 まず、私もまったく知らなかったことだが、「オルゴール」というのは、和製語らしい。江戸時代末期にオランダから渡来した手回しオルガンつまりオランダ語でOrgel(オルゲル)が訛って、オルゴル、オルゴールとなったというのが学芸員さんの説明である。その点、この博物館の英語名「the Museum of Mechanical Musical Instruments」というのは、その展示内容の実態をよく表している。

 シリンダー・オルゴールは、回転する円筒の周りに打ち込んだピンによって、鉄製の櫛の歯状の部分を弾いて音色を出すものである。1814年のスイスのフランソワ・ルクルトの発明とされる。その源流をたどると14世紀のヨーロッパにあった時計塔の機械時計の鐘(カリヨン)の自動演奏装置に行き着くという。このシリンダー・オルゴールは、色々な方向に発展していった。同じ音程の櫛の歯を複数持って演奏するもの(マンドリン・ボックス)、音に強弱を付けたり、音質を向上させるために複数の櫛の歯を持つもの(サブライム・ハーモニー)、ベルやドラムなどを組み込んでオーケストラの演奏ができるまでに発展したもの(オーケストラル・ボックス)などである。最後のオーケストラル・ボックスを聞かせていただいたが、こんな小さな箱なのに、結構大きな音が出るうえ、ちゃんと立派な演奏になっていた。しかもそれが、機械的な音ではなく、とても柔らかい人間的な音色なのである。これが鉄の櫛の歯をはじいて出てきた音とは、とうてい思えなかった。

 しかし、このシリンダー・オルゴールは、わずか0.3ミリメートルもの小さなピンを所定位置に何千本も打ち込まなければならないという、高度な技術が求められる機械であった。もちろん、その製作にたずさわる職人の手間たるや、大変なものである。当然、大量生産はできないことから、極めて高価な代物であった。注文主は、もちろん王侯貴族たちである。それでも、いやそれがゆえに、シリンダー・オルゴールは珍重された。当時はラジオもなく、またレコードも発明されていなかった頃のことである。生演奏以外に音楽を耳にすることができない時代であったからである。かくしてシリンダー・オルゴールは1880年頃に、その最盛期を迎えることになる。

 その1880年代の半ばになり、新たにディスク・オルゴールというものが発明された。これは、シリンダーの代わりに鉄製のディスク(円盤)を用い、スターホィールという星型の歯車を回して音を出すという新技術である。このタイプは、ディスクの原型さえ作ればそれを単にプレスするだけで製造ができた。それまでのシリンダーのように、ひとつひとつを手作りする必要はないことから、大量生産に向いていた。しかも、ディスクを交換するだけで、何曲でも演奏することができる。

 最初にディスク・オルゴールのアイデアで特許をとったのはゲール・ブームで、1882年のことである。しかしこの特許はあまり役に立たなかったようで、1885〜86年にかけてイギリスのエリス・パールとドイツのパウル・ロッホマンが様々の特許を取得した。両者は、当初は対立したものの、次第に協力するようになり、1886年にロッホマンが設立したシンフォニオン社が最初のディスク・オルゴールを製造するようになった。

 折しも産業革命を経て中産階級が勃興し、この種の文化的な製品が求められた時期でもあり、飛ぶように売れたそうである。家庭用の小型のものから、酒場などでコインを入れて演奏する営業用のものまで、いろいろなタイプが生産された。後世のジュークボックスの原型ともいえる、ディスク・オートチェンジャーまで生み出された。これから1905年頃までがディスク・オルゴールの最盛期で、シンフォニオン社のほか、アメリカのレジーナ社、ドイツのポリフォン社が3大メーカーとして市場に君臨したという。しかしながらこれら3社は、激烈な競争状態にあったために、ディスクの規格がまちまちで、メーカーが異なる場合には使えなかったとのことである。

 しかし、その親しまれたディスク・オルゴールも、エジソンが発明したフォノグラフ、つまり蓄音機の性能の向上とともに、次第に衰退していった。それでもオルゴールのメーカーは、たとえば家庭用のディスク・オルゴールに蓄音機付きのものを作るなど、いろいろと努力をした。しかしながら、生の音をそのまま録音できる蓄音機にはかなわず、劣勢に立たされた。結局のところ、1921年までにオルゴールのメーカーすべて廃業するに至ったのである。

 このように振り返ってみると、どこかで聞いたことのある話だと思った。ディスク・オルゴールにとって代わった蓄音機のレコードは、20世紀後半の電子時代を迎えて1982年に発売されたCDにとって代わられた。まさに歴史は繰り返し、因果はめぐるというところである。それに、オルゴールのメーカーであったシンフォニオン社、レジーナ社、ポリフォン社の規格の不統一問題も、ビデオに関するかつてのVHS・ベータ戦争や、最近では次世代DVDについてのHD・ブルーレイ戦争を彷彿させるものがある。そのほか、大量生産技術の開発、特許による囲い込み戦略や、ジュークボックスの原型などの製品の開発など、現代の産業が直面している問題が、歴史上もう既に存在していたとは、驚きである。人間のすることは、今も昔も同じということか。

 ところで、オルゴールの小さな博物館は、日本語でいうオルゴールのほか、オートマタという機械仕掛けの人形、ストリート・オルガンというヨーロッパの街角で演奏している手回しオルガン、それに自動演奏ピアノがある。いずれも時計の技術が源流となって発展したものであったが、電気時代の到来とともに廃れていったものであるが、ひとつひとつ、実によくできている。

 この写真は、18世紀末のフランス製のオルゴールのレプリカである。このピエロは、ランプの光で手紙を書き、ときどき目を閉じそうになって、うたた寝をするが、そのときランプの火も消えてしまう。それに気づいてランプに手をやって点灯させ、今度は目を開けて手紙を書き終えるという芸の細かさである。もちろん、その間にオルゴールの音色は、絶えず鳴り響いているが、それも忘れてしまうほどである。機械文明の華とでも言おうか、まあひとつ、実物をご覧いただければと思う。

 最後になるが、博物館コースを案内していただいた女性がすごい。この博物館がオープンした頃からいらっしゃる方で、たとえて言うなら、オルゴール神社の巫女さんなのである。キリキリッとネジを回してオルゴールが音を奏で始めると、うっとりとした恍惚の表情となり、トランス状態に移る。そして客に、そのオルゴール箱を両手で包めという。そしてつぶやく。「どうでしょう。この子は150歳なんですよ。それでいて、この美しい音色。ああっ!」

 誤解しないでいただきたいが、この女性、いろいろなオルゴールの音色をたっぷりと聞かせてくれたし、その解説もすばらしかった。実に尊敬すべき方なのである。

オルゴールの小さな博物館
 東京都文京区目白台3−25−14
 (電話)03−3941−0008
 地下鉄有楽町線 護国寺駅4番出口 徒歩3分

 http://musemuse.jp/


(平成17年9月19日著)



【後日談1】 館長さんの横顔

 このオルゴールの小さな博物館は、19世紀にヨーロッパで造られた作品を中心として、約350点のオルゴールなどを展示しているほか、定期的に演奏会を開いているが、その館長さんについての記事が、新聞に掲載されていた
(2010年6月2日の読売新聞夕刊)

 館長の名村義人さんは、1937年東京生まれの73歳。印刷会社を経営する傍ら、70年頃からオルゴールの研究を始めて、83年にこの博物館を開いたという。その蒐集と研究のきっかけは、およそ40年ほど前に、義母が孫娘のためにスイスで買ってきたオルゴールに魅了されたことだそうだ。館長を務める一方で、著作もあり、「月刊たくさんのふしぎ オルゴール誕生」(福音館書店)など。


【後日談2】閉館のお知らせ

 オルゴールの小さな博物館は、平成25年(2013年)5月15日をもって、惜しまれながら閉館した。





(平成22年6月5日・平成25年5月15日追加)

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